「超越世界」でわかる、メタバースの本質
メタバースの理解を深めるための日本語訳は『超越世界』とすべきだ。
メタバースは、Meta(メタ)=超越、Universe (ユニバース)=宇宙や世界 からの造語と説明されている。ユニバースは「存在する全てが合わさって一つ(unus)になっている(versus)こと」と 語源英和辞典で解説されている。 「一つ」でなく「超越」してまとめた世界なので、筆者は『超越世界』という日本語訳が適切と考えた。
何を超越するのか?それは、物理的現実世界(ユニバース)であり、モニターやゴーグル越しに見るVR世界であり、それらがミックスされた混成現実世界だ。それらの世界を高次元に超越した世界がメタバース=超越世界 になる。
物理現実世界=ユニバース
物理的現実世界ではライブハウスを訪ねて生演奏を体験し、音楽を浴びて、手拍子をして、演奏家の目線を受けることができる。そういう実空間でのライブは楽しいが、遠隔だったり移動時間の制約などもうける。
実質現実世界=バーチャルリアリティ=世間が仮想現実と呼ぶ世界
世間が仮想空間と読んでいるバーチャルリアリティ(VR)空間では、空間を超えてライブを「実質的に」体験できる。「仮想」というVirtualの日本語訳はIBMの前から用例があるようだが、その本質を捉えていない。「虚像」とか光学用語での翻訳はまだ正しく、虚ではあっても実質的に体験できる、実質現実世界である。
混成現実世界=ミックストリアリティ
大勢でで観て、声援や踊りもできる、劇場ライブ配信とか、はたまた、映画の応援上映とかは、混成現実世界といえる。巨大スタジアムでのライブ・コンサートなどでは、演奏家は肉眼ではほとんど見えず、スクリーンに映った演奏家を大勢で共有しつつその場を共有することになる。
1985年に英国ウェンブリーで行われた、ライブエイドコンサートは世界に同時中継されて、ライブビューイングも行われた。衛星中継のわずかな遅延で大勢と体験したライブビューイングは混成現実体験だろう。しかし、映像やサウンドの質が上がれば、ウェンブリーの遠くから「生」で体験したコンサートとの違いはあいまいになる。
ライブエイドの中核となった、バンドはクイーンでその再現コンサートのシーンを映画の応援上映で体験するとかも、これまた疑似体験というか実質的体験と呼ぶに足る体験とも考えられる。
『超越世界』というあるべき訳語からメタバースを考える
そういった、様々な「現実」を含む超越世界たるメタバースだと理解をするためにはあるべき訳語、超越世界 が広がることに期待したい。他の用例というか似て非なる用例もある超越世界だがそれでも、本質の理解に近いと筆者は確信する。
メタバースは、ゴーグルを付けて行うオンライン会議とか、電脳空間と同じでしょ、という理解は本質的ではない。
まだまだ、ゴーグル越しの会議とか制約が大きい。だが、実質的にオフィスで一緒に働くように、共同して働けるようになるのはそう遠くない未来だと実感できるだろう。そこでのアバターは、このブログのアイコンのようにだいぶ昔の写真のままでもいいだろう。私が私であるという印しとして機能するならば、久々に見かけるひとが見間違うような老いた姿にする必然性はない。
はたまた、メタバースは物理世界とリンクする必然性もない。物理世界と切り離された別世界に生きる私が居ても問題はない。
メタバースの日本語訳として『超越世界』が定着して、日本でのメタバースの本質が早く広く理解されることに期待している。