DXにも不可欠な伝わる平たい英語
書籍「伝わる短い英語」は、とてもためになりました。平たい英語= Plain English は、稚拙に簡略化された英語やブロークンな英語ではありません。トランプ元大統領の英語は品がないとかかつて言われましたが、ジミー・カーター大統領以来、やさしく伝わる英語は歴代大統領が心がけてきたことです。
そして、平たく、易しい語彙で話すことは品格を損ねるということではないとされます。
平たい英語で、コミュニケーションコストを劇的に下げられると確信しました。
今すぐ購入して冒頭の箇所だけでもまずは読んで欲しいとお勧めします。
平たい英語は、世界の潮流
この本の著者の浅井 満知子氏は、技術翻訳や投資家向け(IR)翻訳をメインとされる株式会社エイアンドピープルの代表者です。投資家向けの資料が豪華に印刷されたアニュアルレポートから、PDFへ、そしてそしてHTMLベースへと媒体が変わるなか、浅井氏は、英語の構造も平たく変わったと説きます。
Plain English、平易な英語に用語も文の構造も変わったというのです。
格調高く難しい単語を使いこなすのが教養ある人という観点からすると、平たい英語とかいわれても、そんな英語を使ったら馬鹿にされるのではないかと心配になる人もいるでしょう。しかし、平たい英語は、ブロークンな英語でも、教養のない人が使う変な英語でもありません。分かりやすく平たく記述し、ストレスフリーにスーッと頭に入るような自然で違和感が少ない、英語です。差をつけるための読解問題に出てきて分かる人だけを選別するような英語に対して、染み入るように多くの人が分かるように意図された英語ともいえます。
伝わる英語はローコンテキスト、漫才でいえば「錦鯉」
伝わる英語とは何か?2021年末の今でいえば、M-1グランプリで優勝した、錦鯉の漫才のような、多くの人が単純に笑ってしまうような伝わる英語という、説明が浮かびました。
錦鯉の漫才は、漫才に慣れてない人でも笑ってしまえる、パンクロックのようなローコンテキストな笑いと評されています。「サファリパークに迷い込んでしまった人のハプニングが面白い」とかは、世界おもしろ映像のような、ひょっとしたら、サファリパークという存在を知らなくっても面白そうと伝わる漫才のように思えます。
そういう、前提条件なしに伝わる、ローコンテキストな英語が、プレーンイングリッシュ、平たい英語なわけです。
伝わる英語メールで8割は Can youで始まるし、日本語でも「可能ですか?」という表現は有意義
私の英語のEメールのほとんどは、何かを依頼するか、質問や依頼に答えるやりとりがほとんどです。そいう私の世界で見るに、伝わる英語メールの8割ぐらいはCan youで始まるし、依頼事項はぶしつけに、Can you で書くべきだなとも思います。理由を先に説明してからとか、コンテキストの共有をせずに、まずは読み手に何をいつまでにしてほしいと書くべきです。
なぜなら、Can you で始まる英語に対して、回答が楽だからです。そして、依頼事項が冒頭に明確に書かれていたら、その依頼の理由とか注意点とかはその後に書かれていたら楽に読み流せます。
もちろん、宛先の目印で、 「Hi Hideki」のような呼びかけは入ります。そこはもう、今のEmailソフトはプレビューで見える範囲であり開封して返信しようという意識を持ってもらうための「フラグ」のような範疇で、軽く飛ばして本文の冒頭の依頼事項「Can you」文をシンプルにストレートに、相手にしてほしいことを書くのが大事というわけです。
Can you で始めると迷わずに無茶な要望もストレートに書いてOKという利点があります。もし、無理な要望でも、相手はシンプルに出来ないとか、判断して返信が楽にできるんです。
この、Can you? 式の表記は、日本語でも応用が効きます。「〇〇することは可能ですか?」って無茶なことを書かれてかなり驚いたことがあるんですが、要求が分かりやすいので、対応しやすいのです。たとえば、納品物のデータに対して、「英語社名も追加することはかのうですか?」と聞かれたら、「絶対持ってないだろう」とか思いつつ、法人番号がついているからキーにしてEDINETのテーブルとぶつけて取れる英語社名は足せるとか、ポジティブな対応が可能になりました。
外資系企業ならではの言い回しかもしれませんが、ともかく、要望が無茶とか非常識とか思われるかもとためらわずに、ストレートに要望を 「〇〇することは可能ですか?」という平たい日本語は大切だと実感しています。
平たい英語・日本語でコミュニケーションコストを下げよう
デジタルトランスフォーメーション(DX)にも平たい英語・日本語は書かせません。コミュニケーションコストを下げて、情報伝達や意思疎通を楽に早くできるからです。
偉い人の顔色を伺って、その人の意思を推し量って忖度して行動するとかいう方式も、出来上がった組織内では効率的でありかつ、偉い人は責任を取らずに済むという利点もあるでしょう。しかし、ビジネスのスピードが早くなり組織も柔軟に拡張や縮退することが求められる中、阿吽の呼吸が通じる 人々を維持し育てるのは大変な高コストなコミュニケーション方式だと感じます。部門長の意思を汲み取り、ご機嫌をとるような組織にかつて私もいましたが、そういう内部的なことにノウハウをすり減らすのはナレッジの無駄遣いじゃないかと今は思います。
新入社員で配属された時に銀座支社長から、「『カンの構造』という本を知っとるかね」と、ミスをするのは勘が働かないからだとたしなめるためにちょっと婉曲に言われたとかいろいろ若い時のことは今も覚えてます。コンテクストがあったらそういうデータの処理ミスはありえないという叱責なわけです。ストレートに言わず、支社長なりの遠回しの知性を値踏みするような言い回しでした。「『認識とパタン』や『詭弁論理学』とかのそのジャンルの本は好きですがその本は未読です」とかクセ球にクセ球で返していたら面白かったのにとか今は思います。
ともあれ、人には返報性(へんぽうせい)の原理 があるそうで、やられたらやり返したくなるのが人情です。倍返しで二冊挙げて返したくなります。
そいういう、返報性の原理から考えても、Can youとかストレートで平たい英語や日本語を使えば返事もストレートにやさしく返ってくるのが、ありがちな社会でしょう。相手に返してほしい行動や返信から考えて、平たい英語や日本語を使い事はコミュニケーションコストを下げてDXにも繋がる大事で身につけるべきノウハウだと確信しています。
最後に繰り返しますが、書籍「伝わる短い英語」をお勧めします。