休暇中番外編No2 矛盾なソウルの一人旅 その2
今回のプログも休暇中特別篇ということで、クラウドともOffice365とも関係ないのでご容赦ください。(クラウドコンピューティングとは少しだけつながりますが。)
さて、今回の旅でなぜ自分が「矛盾」が好きなのかを発見したということで、「矛盾」をキーワードにソウルへの旅を総括している。
矛盾その5 つかれないバスタブ
いきなり想定外の極寒の地に舞い降りてしまってろくろく散歩も出来ないとすればどうするか? 日本人であれば、温泉につかって時間を過ごす、ということ思い起こす人も少なくないだろう。温泉は無い物ねだりなので、せめてゆっくりと風呂に入ろうと試みた。
バスタブにお湯をはり、湯船にはいると身体が半分しか湯につかれない。バスタブの上から三分の一ぐらいのところについている排水口が当然のごとく、それ以上の水位の上昇を阻むわけである。これまでそういう経験がなかったわけではないが、今回はなんとしてものんびり湯につかりたい、と強く念じつついろいろ試してみた。砂の下に潜り込む舌平目は館山の海で沢山見てきたので、それを思い起こしつつバスタブの底に出来るだけ張り付くように試みたり、息をすべて吐いて出来るだけ身体を小さくしてみたり。
当然ながらすべては徒労だった。いつも思う。欧米人は何のためにバスタブが必要なのだろうかと。ただ座りたいだけならば、シャワーに椅子を置けばいいではないかと思う。身体を沈められないバスタブ、こんな矛盾がどうして存在するのだろう。。。
矛盾その6 食住足りて、、、
バックパッカーもどきの旅を標榜する以上、気軽にタクシーには乗れない、と最初のうちは思った。2日目にミョンドンまで向かうのに鉄道を使うことに決めた。駅までは歩いて10分程度らしい。寒さの中かなり我慢に我慢を重ね歩くと確かに駅があった。で次の難関がどうやって切符を買うかである。しばし販売機の前にたたずみ、ぶるぶる震えながら観察をしてみた。よく見ると日本語でも表示されるということがわかり、そのボタンを押してみた。で、行き先を決めないと買えないのだが、ミョンドンが見つからない。というよりもアルファベットでミョンドンをどう書くか知らないのである。仕方なく、確実に知っているソウル (Seoul) を選択することにした。Seoul Stationというのがあったのでそれをおすと、必要な金額がチャージされたカードが出てきた。非接触のカードを利用するらしい。日本ではまだ存在しいるあの小さな切符はソウルでは存在しないようだ。
ところで「食住足りて礼節を知る」という言葉がある。もちろん日本も韓国も「食住」は十分に足りているに違いない。電車に乗った3駅目ぐらいで、私の3つとなりに座っていた30歳前後の女性がすくっと立ち上がった。乗ってきた60歳ぐらいの女性に席を譲るためらしい。手でこちらにどうぞと合図をして、誘導していた。日本、特に首都圏ではとんと見かけない光景かも知れない。高齢者に敬意を払うことが「礼節」なのかどうかは必ずしも確信はないが、感じることは、韓国の方が日本よりも「礼節」に優れているということである。つまり韓国の方が「食住」に足りているのかも知れない、ということを感じるわけである。
どうも日本全体に危機感が感じられないが、私はかなり危機的な状況だと思っている。景気高揚感がまったく感じられないまま長期間もがいているのは、国際競争力の総合的な低下が一因ではないかと考えるところである。成功体験が招く鈍感さは良くある話だが、それは大きな矛盾を隠蔽するものでしかない。日本が必要以上の痛みを経験することのないように期待したい。
矛盾その7 買い物嫌いな私
韓国旅行は日本人には大変人気がある。もちろん韓流ブームがあり、近いところであり、そして何よりも円高の影響もあり物価が安いということがその要因ではないかと思われる。
残念ながら私は海外でぶらぶらと買い物をする趣味がない。なので多くの方々が楽しむ重要なイベントがないことになる。ロッテマートにも行ったし、ロッテデパートにも行ったけれども結局何も買っていない。トンデムンは衣料品の卸売りで有名で、確かに激安のダウンコートがいろいろとぶら下がっていたが、たった一日のために余計なものを購入するのは控えた。何よりも帰りは手荷物だけで帰りたかった。
買い物に興味がない私に取ってはソウルへの旅はもっとも大きな矛盾であった。特に極寒のソウルでは外をぶらぶらもすることが出来ないのでなおさらである。
ところで初日やせ我慢したタクシーの利用であるが、乗ってみるとかなり安いということがわかる。200円程度が初乗りで、30分のっても1200円ぐらいしかかからない。感覚的には、日本のタクシー料金の三分の一程度である。この低料金は何によるものなのだろうか? 車が安い? タクシー運転手の賃金が安い? タクシー運転手の地位が低い? そのすべてかもしれない。もっとも韓国の一人あたりGDPは日本の約半分程度なので、それほど不思議なことではない。
矛盾の持つ意味
さて、これを書き始めた理由として矛盾についての話をした。誰しもがある程度矛盾を許容するのだということをホテルである本を読んでいるときに気づいた。そして思い出した。私は学生時代に弁証法に浸っていたことを。テーゼとアンチテーゼがあって、それがアウフヘーベンしてジンテーゼになる。これが歴史の原動力をあると聞いて、それまで偶然の積み重ねだと思っていた歴史が、ある原動力によって突き動かされているダイナミックな現象である、ということを理解出来るようになった。
言い換えると、あるものにはその本質とその本質そのものが生み出すそれと相反する側面があってその両者が互いに影響し合い、新たなものへの発展の原動力となっていると。
ITに置き換えるとわかりやすいかもしれない。ITの統合管理の必要性や活用の必要性が高まる一方で、そのITの必要性は必然的にコスト圧力を高める。つまりITの必要性がテーゼで、コスト圧力がアンチテーゼである。この両者がせめぎ合うこと(アウフヘーベンすること)で新たな仕組みが生まれる。例えばクラウドコンピューティングである。これがジンテーゼということになる。
クラウドコンピューティングは別の説明も出来る。規模の経済性というテーゼがある一方で、その規模が生み出す未利用資産の増大というアンチテーゼがあり、それがアウフヘーベンしてクラウドコンピューティングを生み出す、という説明である。
これは人にも当てはまると思っていた。人にはその人の特徴とも言える本質的側面がある一方で、その本質を否定する側面が必ずあって、その両者が互いにしのぎあうことで常に新しい自分を見つけていく、ということである。
つまり私は矛盾の中に発展や成長の原動力を見いだしていたに違いない。ある本質とそのアンチテーゼがぶつかり合って、どのような新たな本質を生み出すのか、私ごとき才能に恵まれないものにとっては、それを予想することは難しい。しかし、未知の矛盾に泉のごときエネルギーを感じることが出来る程度の学習はしてきた。
今度のソウルへの旅では、極寒の中で物思いにふける時間をたっぷり与えられ、ソウルで感じる矛盾、日本に感じている矛盾、自分自身に感じている矛盾、様々なものごとを考えた。これらの矛盾が新たな発展の原動力になればいいと思いつつ。
新しい年が多くの矛盾を原動力として新たな段階に発展することを強く祈念して新年のご挨拶としたい。