ドラッカー氏の価格設定の方法は正しいとは思うのですが
Twitterを本格的にやるようになって、半年ほどが経ちました。
私はあまりフォロワーの数などは気にしていないのですが、おかげさまで今日現在で250人くらいの方にフォローしていただいておりまして、本当にありがたい限りです。
そんなTwitter生活の中、いろいろな人がリツイートしてくる人に、悟りを開いたかのようにやたらいいことを連発するおじさんがいて「このおっさん、只者じゃ無いな」と思ったら、それはピータードラッカーbotでした。
私はお恥ずかしながらこのドラッカーという人の存在をそれまでまったく知らなかったのですが、そういえば、なんか高校野球のマネージャーがどうたらこうたらって数年前、話題になってましたね。
しばらくしてからつながりました。
今ではよくこのおじさんがつぶやくたびに膝を打っております。「だよねーっ!」と。
このおじさんの言うことは、経営者だけでなくマネージャーも新米サラリーマンも、組織で働く以上誰にも有益なお話であるような気がします。もしよろしければ、フォローしてみてはいかがでしょうか。
http://twitter.com/#!/DruckerBOT
時に耳が痛いです(笑)
▼ピーター・ドラッカーの言う「価格設定の方法」
さて、最近そのおじさんbotがつぶやいた一言が、結構胸にずしんと来ました。
価格設定の唯一健全な方法は、市場が支払ってくれる価格からスタートし、その価格に合わせて製品を設計することである。
おお・・・これ、大変重要な話です。
生産者側が価格設定をする場合によくやってしまう間違いは、まず市場ニーズを調査し、「うん、これが売れそうだから売っていこう」と企画し、それを社内で実現するためのコストを算出し、そしてそれに利益を乗せて販売価格とするやり方です。
これだと、直感的にどうしても「生産者側に甘い」価格設定になります。
甘ったれんじゃねぇよ!と言いたいわけです。
先日ちょうど弊社内で、とあるサービス価格の設定の会議をしていて、社員がこの方法で値付けを考えていたので、かなりイラっとしてしまいました。
やはり発想としては、このおじさんの言うとおり、一般的な常識価格というのが出来上がってますので、たとえばガムなら100円、ゲーム機なら2万円、ビデオカメラなら6万円という枠の中で、社として実現できることを必死で詰め込む努力をすべきだと思います。
もちろんまったく新しいビジネスの場合は「常識価格」というのは市場に存在しないですが、そこで大事なのが「一般常識」の価値観を維持しておくことですね。「こういったサービスならこれくらいは出す」という直感力が重要です。
「カップラーメン?400円くらいでしょ?」
といういつぞやの首相のエピソードがありましたが、彼などは商品企画の会議にもっとも参加してはいけない人間です。
キャベツの値段、エアコンの値段、安売りメガネの値段、大手予備校の授業料、HISで香港3泊4日のツアーの値段などがかなりの精度でピタッと言い当てられないようではいけません。
まずは、常識価格に沿って検討し、確かに自社の商品やサービスに何らか他社と差別化できる部分があるのであれば、それをきちんと表現して「だから高いんです」とアピールすることを考える。
表現できる特徴も無いのに、生産者都合で出した常識価格より高い価格設定が、市場で受け入れられるはずもないですね。
▼情報の常識価格はタダ
と、まあこれがおそらく王道な話だと思うのですが、困ったことに、「価格設定は常識価格を元にして考えるべし」と言うときに厄介なことがあります。
それは今は「情報の常識価格はタダ」ということです。
本来、情報には立派な市場価値があるはずなのに、2000年あたり以降の常識価格は常に「0円」据え置きとなっています。
いやー、だって月4000円弱する新聞と同じ内容が読めるんですよ。当然1日130円程度の価値がありますよね?
と正論ぶったところで、そこはどうしても覆りません。
去年、日経新聞のサイトは一部のトップ記事を除き、基本的に全記事有料化に踏み切りましたが、私のような「価値のあるものにはちゃんとお金を払うべき」と思っているユーザーだって、いざ現実に有料となれば、日経のサイトはお気に入りからはずして、別のメディアで記事を探してしまいます。
実際に価値のあるものが存在し、提供する能力があるが、常識価格がゼロ円で、商品そのものには値がつかない。
これはゆゆしき事態です。
そうなるとしかたなく、メディアは、広告収入に頼ることになり、広告主をつけるために不毛なPV稼ぎに走ることになります。
となると自然と記事の質は落ち、「タイトル落ち」みたいな記事がヨシとされます。(あ、はい、すみません。それは私のブログですね...^^)
しかし、ある意味そんな詐欺的手法でPVが増えたところで、あるいはターゲット広告などの技術的な工夫を凝らしたところで、ネット広告はいずれ飽和し、その価値は年々下がっていくのは当然のことです。
そうなれば、当然掲載する広告数の割には、売上が上がらず、情報発信メディアとしてはますます苦しくなるというジリ貧スパイラルな構図に陥りますね。
それは長期的には情報を販売するというビジネスモデルの死を意味するでしょう。
去年、日経は日本の他のメディアに先んじて大英断を下しましたが、これはやはり全報道各社一斉にやらないとダメだと思います。新聞社などはすでに購読料を談合で決めてると疑われるような状況なのですから、ネット版有料化も話し合って一斉にやればいいのではないでしょうか?
一般ユーザーは私も含めて、どうしたって近視眼的にタダの方を選択してしまいますから、物理的に「タダのところなんてこの世にない」という状態にする必要があります。
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話を元に戻しますと、「価格は常識価格をベースに考えよ」とは言っても、このインターネットという未成熟な技術が、何の秩序もルールも無いまま世に放たれてしまった結果、あまりにも不当な価格(というかタダ)が世に浸透してしまったことは、本当に困ったものだと思います。
タダの商品は何億個、何兆個売ってもタダです。どうやっても儲かりません。
ここで広告で稼ごうというのは邪道です。価値のあるものは、それそのものの相応の値段で取引されるべきです。
そうしなければ、商品の価値向上以外の変なところでの努力が費やされ、「競争原理によって自然と質がよくなっていく」というメカニズムが働かないではないですか。