日本の技術力っていうのは、やはりもうダメなのでしょうか?とある難問への回答
先日、いちジャーナリスト(以下1Jさん)と雑談をしているときに、
「ところでね、玉川さん、日本企業が再生するためには何が必要なんでしょうかね?欧米アジアの海外ハイテク企業がどんどん伸びていますよね。日本の技術力っていうのは、やはりもうダメなのでしょうか?これから日本人はどうすればいいのでしょうか?」
と、お天道様でも答えるのが難しい質問を投げかけられた。きっと僕が時差ボケで釈迦かキリストみたいな顔をしていたから、そのような質問をしてみたくなったのかもしれない。
2秒ほど時間をもらって僕はこう答えた。きっといつも考えていたことだから、わりとすぐに人の言葉として出てきたのだろう。
*ところで予め断っておくが、僕は日本が好きだし、日本人が好きだ。人間関係に気を使ったり、わけのわからない議論につきあったりいろいろと面倒なこともあるけど、この文化は、深い。そして、これこそ自分のコンフォートゾーン(快適領域)そのものだ。
「日本の、日本人の技術力は世界でもトップクラスであることには変わりがないと思います。多くの人が勉強熱心ですし、自分たちの技術力の高さに誇りを持っています。」
ほんとにそう思う。ハイテクの基礎技術で日本人が発明したものも多いし、昨今では、ノーベル賞先進国としての認知も進んでいる。日本の技術力がだめだなんて思う必要はどこにもないはずだ。
ただし、
「ただし、次の二つの点で、私たちは大きな危機に直面しています。その一つは、スピードです。世界は急速に変化を遂げています。その変化に技術が素早く追従し、あるいは変化をけん引するためには、発明と展開のスピードを上げなければなりません。そのスピードを上げるためには、設計し、開発し、展開する、というサイクルを極限まで縮めなければなりません。極端に言うと、まず開発し、展開して、あとで設計し直す。コンピュータシステムの開発でいえば、ウォーターフォール型からアジャイル型*への転換です。開発の規模を小規模にして、スピードと展開を重視する。フェイスブックの手法が好例です。
もうひとつは、標準化です。標準技術を採用しているかどうかで、その後の進化に影響が出ます。いくら優れている技術でも、誰もが使えるようなものでなければ経済的なスケールをすることはないでしょう。技術基盤として共通化できるものは徹底活用することが必要なのです。私たちは“技術力が高い”という誇りがある故、自分の技術を独自に磨いていった方がいいと過信しているのです。世界中の叡智と協力するよりもそのほうがいいと。この信仰を解いてこそ、次代を担う技術大国として再燃できると思っています。改宗は簡単なことではないですけれども。」
1Jさんは、至極納得されたようです。が、この議論は深い。皆さんはどうお考えだろうか。
*ウォータフォールvsアジャイルは、スピードを視点にしたメタファーであって、優劣や善し悪しではありません。実際にはプロジェクトや用途によって適用すべき開発手法が異なります。念のため。