偉大なロックバンド史かと思った「フリー」は、新たな経済連鎖への展望だった
遅らばせながら、延べ3日かけてクリス・アンダーソンの「フリー」を読んだ。
フリーとは、ネットが切り開く「自由」なコミュニケーション/情報のやり取りと、「無料」の製品やサービスのこと。なぜ、従来のアトム型(原子、物理、ハードウェア的なもの)では不可能だった製品やサービスの無料化が、ビット型(デジタル、電脳)では可能なのか?という新時代のビジネス論を展開する。
TANSTAAFL・・・(発音は、タンスタァーフル?TINSTAAFLと表記することも)とは、There ain't no such thing as a free lunch。つまり、「無料の昼食なんて存在しない」だ。レストランなどのキャンペーンで「無料ランチ」とうたっていたとしても、必ずそのコストを負担する人たちがどこかにいる、というものの見方。
もし、何かが無料である、とうたわれていたら、なぜ無料でも成り立つのだろうか、誰がそのコストを負担しているのだろうか、という大局を考えると、ビジネスの構造が見える。そして、昨今では、複雑化していくウェブを活用した新たなビジネスでは、消費者がおカネを払わないにもかかわらず、高度なサービスを展開している事業者が山ほど存在している。それらのビジネスモデルはいったいどのようなものなのかを、同書では丁寧に解説をしている。
傍白:ずいぶん前の話になるが、音楽好きな友人たちとの会合で、「自分たちで音楽レコーディングを行い、そこで作ったCDを売りながら、そのレコーディングサービスをシニア世代に安価で提供する。また、制作したCDを売る」というものを思いつき、その友人の一人が代表となって実行をしかけたことがある。しかし、この狙いはそのものはそれほど悪くないが、CDを作り、売るという着地点において、「アトム型思考」を抜け出すことができなかった。
「フリー」によると、アジアの一部の国では、良くも悪くも、デジタルデータ化された音楽コンテンツを手元のMP3プレイヤーで聴くためにおカネを払う人が少ないそうだ。しかし、消費者本人が払うのではなく、企業が支払いを代行し、代わりにコマーシャルを消費者に届ける形でコンテンツ利用を無料化していく、というサービスが隆盛している。こうした間接的に消費者が支払うという仕組みのおかげで、音楽作品は幅広く聴き、親しまれ、またライヴコンサートを開催した場合には相当の観客動員と売り上げを見込むことができるとか。
少し乱暴だが、フリーとは、新時代の経済エコシステムのことと解釈した。もし私の眼前のものが無料なら、それは私に対して無料なだけであって、経済連鎖を俯瞰すると、必ずコストがかかっているし、どこかで誰かがそれを支払い、そして利益を得ている。見た目のコストを極小化あるいはゼロにすることができる今日でこそ成立するこの経済構造を、新たなビジネスを立ち上げる新進の挑戦者たちがおおいに参考してもいいと思う。大変勉強になった。