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もしも洞察力があったなら……。

ネットワーク・コンピューティングが叶えること

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オラクルが1995年に発表したネットワーク・コンピュータは、いわゆるシン・クライアント、つまり見た目は端末のみで、当時の人たちは(私を含めて)いまでいうクラウドとか、SaaSとか、よくわからなかったので、「500ドルパソコン」をオラクルは開発販売するらしい、という誤解交じりの報道や伝聞がなされていた。

*この現象は、IT専門媒体の報道を多い尽くすように、それ以外の報道が過熱したためにおきたウェーブと理解している。時を経て収束に至った。

当時、データベース管理ソフト、Oracle7を超主力製品として展開している中、この「500ドルパソコン騒動」は、オラクルが「いよいよハードウェアに進出」と誤解させるのに充分だった。事実は、オラクルは構想やアーキテクチャを提供し、一部のソフトウェアを開発し、そして、ハードの製造はサードパーティに委ねたというのが実態だった。(関係ないが、私の足元にはつい昨年までxxx製のネットワーク・コンピュータがゴロっと転がっていた。サーバー無きシン・クライアントは、寂しいオブジェと化していた。)

当時抱えていた大きな課題は、ラリー・エリソンの提唱する世界観に対して、ネットワーク、アプリケーション、ハードウェア、ユーザーやエンジニアの理解、、、が充分でなかったこと。しかし、今はどうだろう。iPhoneやブラックベリーに代表されるスマートフォンがこれだけ浸透して、ユビキタス・コンピューティングが実現している。誰もが、「データがどこにあるか」をほぼ意識せずに情報へのアクセスを、24時間、地球上の多くの地域からするようになっている。

ラリーエリソンが90年代半ばに提唱したのは「ネットワーク・コンピューティングを通じて、情報化時代を実現する」(Enabling The Age Through Network Computing)であった。この世界観を実現するには:

いつでもどこからでもつながることのできる、ネットワークとデヴァイス(シン・クライアント)、そして、どこにあるかわからなくてもいいから、安全に稼動するサーバーソフト、ハード、サービス群、そして、データを手元に置かなくてもいいよ、というベンダーやユーザーやエンジニアという、人間の意識改革が必要だったのだと思う。

こうした歴史を振り返る度に、今のスマートフォンやクラウド・コンピューティングの盛り上がりは、かつて誰かが夢見た世界と同一なのでは、という疑問が浮かび上がる。デジャヴュである。

もちろん、アップルはクールだし、グーグルだって、そうだ。しかし、未来に起こることを、10年前の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ばりに占いきったオラクルだって、ソウトウ、クールだと思う。皆さんは、15年後に何が起こるかなんて、地デジが日本を覆いつくしていること以外に予想がつく?フツウは、つかない。15年後なんて、犬の命(ドッグ・イヤー)なら一生。人間の60年相当だ。おぎゃあと生まれたときに、「君の一生はどんなだと思う?」というのと同じくらいおかしな質問だ。万が一、この質問に答えられるようなら、それは、神様か、その反対か、あるいは芸術家*。

*私の大好きな芸術家は、一様に卓越した想像力を持っている。すべての工業製品はベースとなる何かを模倣、改良、組合せを行っているが、芸術家は、無から創造し表現する、卓越した能力の持ち主であるというたいへん個人的な見解故。

つまり、今を生きる私たちにおきているパラダイムシフトは、いつか見た未来であって、今日突然誰かが言い始めたわけでは、ないのだ。これらを実現する重要なリーダーや、技術や、企業が現れた、ということではないか。

そして、すべてのコンピュータがつながって、その先にいる人たちがつながって、情報時代を確信したとしたら、その先にあるパラダイムシフトとは、いったいどんなものだろうか。

考え始めると、眠れなくなるのだ。

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