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もしも洞察力があったなら……。

説教を、甘んじて受けてみる--対話を学びの場所にする事例

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先日、仕事を終えたあと、オフィスの近くにある行きつけの飲食店に出向きました。
「一番好きな日本料理」でご紹介しましたが、今は鮮魚がマイブーム。どうしてもお刺身が食べたかったわけです。

人気のお店とあって、店内はほぼ満席。
"お一人様"の私は必然とカウンター席へ誘われます。

着いた席の横を見ると、先客が。ほんのりと顔が紅潮した年配の方。うれしそうに金目鯛の刺身を摘み上げ、「ほんんっとに、魚ってうまいよねぇ・・・」と、幸せそうにしている。私も彼の顔を見て思わず、「ホントですよね。お魚、おいしいですよね。」と返します。

彼は、一人で鮮魚をつつく私に興味を持ったようで、話しかけてきます。一人の時は黙々と食べるのを信条としているため、戸惑いつつも、暫く黙って聞き流していたところ、「君の、そのハデなメガネは なんだ?なんでかけているんだ?」と。ありゃ。通勤時に着用の 紫外線予防メガネをかけていたままでした。なにやらまずい雰囲気になってきたな、と思ったら、「君は、マイナーか?」と問い詰めるような口調で迫ってきたのです。

始めは意味がわからなかったのですが、どうやら、「勝ち組か、負け組みか」という意味の様子。何をもって勝ち組というか、負け組みというか、その定義に言及するのもはばかるのですが、言い換えると、ここでは、「自分の夢(あるいはヴィジョン)を達成できているかどうか」というもの。

次いで彼の口をついて出てきたのが「君はマイナーだな。マイナーは応援したくなる。だから、がんばれよ。」と。

なるほど、これはきちんと聞かなければ。なぜ一目見て私を「マイナー=夢を達成できていない」だと思ったのか。なぜそれを応援するのか。初対面のシニアなアドバイザーに耳を傾けた。彼の指摘を要約すると・・・

「ハデなメガネをかけて一人でこんなお店に来る人は、軽薄で、外では見栄っ張りで、自分本位。将来をテキトウに考えている。物事の本質が潜む歴史や匠のことを知らないし、知ろうともしない。輝いている人はスグ判る。しかし、貴方にはそれがない。だから、マイナーなんだよ。マイナーは残念だから応援することにしている。」

批判を真摯に受け止めるには、自分を信じることが必要、とかつての師の言葉を思い出す。そしてその第一歩は、冷静さを保つこと。

"よし、虎穴にいらずんば虎児を得ず。この場で何を学べるかわからないが、付き合ってみよう。"

過去に受けた、「メンタルなタフさ」を養うビジネストレーニングでは、可能な限り批判を客観的に咀嚼して受け入れ、自身の改善のポイントは何かを探ることに活用する。同時に物事は「そうでなければならないわけではない」ことを理解することだと学びました。また、物事の関係調整を行う「ファシリテーション」の授業では、批判勢力との調和を求めるには、まず相手を認知して、受容し、対話を始めることが必須であると説いています。さらに、対話の基本手法、相手のアジェンダに振り回されることなく、自身のメッセージを伝える技術が頭に浮かびました。

とはいえ、シチュエーション的には、すっかり不意を突かれ、緊張しちゃっています。顔にもそれは出ていたでしょう。かろうじて、「そうですね。その通りかもしれません。ご意見に興味があるので、なぜそう思うかを教えて いただけませんか。」と言葉をひねり出し、相手の懐に踏み込んでみました。彼はかすかな笑みを浮かべ、私への意見を交えながら、自身の仕事への取り組み方や、これまでの成果、世間への不満について・・・滔々と 語り始めたのです。

小一時間その話を聞きながら終始(冷静に)「なるほど、そうですか、そうなんですね。よくわかります。」と相槌を打ち続けます。

やがて、彼は当初険しかった目つき、こわばった表情をだんだんと緩め、次第に笑顔になっていきました。気がつくと、私はといえばほとんど話を聞いているだけなのに、「君のような若者(*実際はそうでもありません)に未来を託したいんだよ。わはは」と肩をバンバン叩き始めたのです。

"おや?"

さらに話は続き、彼が故郷や家族の話をし始めたときに空気がまったく別のものに変わりました。それまでの叱咤激励から、神妙なものに。聞けば当人は何代も続く本家の長男。この家を継ぐというプレッシャーに翻弄されているが跡継ぎがいないなど、身の上の話をし始めたのです。私は、合間に質問をはさみながら、もっと話を聞くことに決めました。息子さんが病気をし、長女夫婦にも跡継ぎがいなく、どうやら婿側にその意思がない云々。かなりプライベートな内容です。

やがて、彼が話をし尽くした様子を見計らいながら、意を決して「私にもおとうさんと同じ世代の親父がいます。親父には、自分が今こうして生きて未来へと歩めていることを感謝するようになりました。きっと、家族っていうのはそうやって、いつか必ず親父に感謝するんですよね。」と一言。

彼は、目を見開き、微笑みを浮かべて、手を差し出し、握手をしてくれました。やわらくて、温かい手でした。もう、紅潮した顔は肌色に戻っています。

もしかすると彼は、自身ががんばってきたことや、培ったものを、目の前にいる若者(*実際はそうでもありません)に認識してほしかったのかもしれません。そして伝えたかったのかもしれません。人生を精一杯やりましょうと。

「またお会いしましょう。」と言い残して、私はお店を後にしました。

今回の学び:アゲインストのとき、望んでいないときでも、コミュニケーションを自ら、進んでしてみる。メッセージを交換し、明日への糧にする。これこそ心地よく帰宅するための、生産的な態度と時間の使い方ではないだろうか。

*本内容は実話ですが、会話の内容がなるべく判りやすくなるよう、抜粋、または編集を行っております。一語一句が実際の発言内容と一致しない可能性があります。予めご了承ください。また、長文駄文にもかかわらず読んでくださっている方々にお礼を申し上げます。

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