「失敗を許さない文化」を卒業しましょう
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6年前に【振り上げた拳を下ろせない人が何故生まれるか?】という呟きをしていて、あらためて考えると、タイトルに行き着いた。
- 失敗を許さない文化が、次第に失敗した人を糾弾する文化となり、それが組織やコミュニティの文化となる。
- 他人の失敗を見つけ出し、指摘し、糾弾した人が崇拝され評価されるようになる。
- 誰もが失敗を恐れ自らは目立たないようにして、他人の失敗に目を光らすようになる。
- 失敗の指摘は早い者勝ち、より強く糾弾した者勝ちとなる。
- いわゆるお手つき、誤って失敗でない事案、指摘や糾弾に値しない事案を、指摘したり糾弾したりしてしまうことが起こる。
- 誤って指摘したり糾弾してしまったことを認めると、そのこと自体が "失敗" となってしまうために、誤りを認めることができない状況となる。
- そのために、一度振り上げた拳は絶対に下げられず、何がなんでも自分を正当化することが必要となってしまう。
それが、「ギスギスした組織」となってしまう原因のひとつになっているような気がする。
そろそろ「失敗を許さない文化」を卒業しませんか?
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