なぜ、犯罪の被害に遭うと、被害者や遺族は実名や顔写真をさらされなければならないのでしょうか?
相模原市で起きた殺傷事件で、被害者の実名を報道していないことに対して、産経新聞が以下のような記事を掲載している。
相模原殺傷 被害者匿名、疑問の声 県警が非公表 障害者団体「差別では」 (産経新聞 7月31日(日)7時55分配信)
神奈川県警は障害者への配慮などを理由に被害者の実名公表を拒んだ。戦後最大級の犠牲者を出した殺人事件にもかかわらず、「誰が亡くなったのか」という事実確認に障壁を設け、被害者の足跡や遺族の思いなどを世に伝える機会を奪った形だ。障害者団体は「逆に障害者への差別になっていないか」と批判、メディアの専門家も対応に疑問符を付けている。
被害者や遺族へ配慮して実名公表をしなかったことに対して、"事実確認に障害を設け"、"被害者の足跡や遺族の重いなどを世に伝える機会を奪った"。 "障害者への差別となっていないか" という。
果たしてそうだろうか?
そもそも、なぜ被害者の実名が公表されてしまったり、遺族が取材を受けその姿が報道される必要があるのだろうか? 被害者や遺族はそれを望んでいるのか? 世間はそれを望んでいるのか?
長年にわたり被害者保護の活動をしている友人の竹内大徳弁護士は、
そもそも、なぜ被害者の氏名が一般的に公表されるのかが問題ではないか?
実名を報道するかどうかは、警察でもメディアでもなく、被害者が責任を持って判断することではないか?
なぜ、犯罪の被害に遭うと、プライバシーの権利を奪われるのか。今回の件をきっかけに議論が深まればよいと思う。
と自信のFacebookで述べている。 被害者の意思が尊重されず、メディアの都合で実名が報道されているように思う。
立教大学の服部孝章名誉教授(メディア法)は、産経新聞の取材に対して以下のように述べている。
「実名の開示は、どんな人物だったのか、どんなことが起こったのかを検証するのに必要だ」と強調。「メディアが実名を報道するかどうかは、警察ではなくメディアが責任を持って判断することだ。当局による恣意(しい)的な情報選別は、都合の悪い情報の隠蔽(いんぺい)にもつながりかねない。『遺族感情』などを理由に、安易に匿名にすることは許されない」
このコメントには大いに違和感を感じる。
神奈川県弁護士会は、2015年3月に以下の声明を発表している。
なぜ、犯罪の被害に遭うと、被害者や遺族は実名や顔写真をさらされなければならないのでしょうか。
今年の2月、川崎市で中学1年生の男子が殺害される事件が起きました。ご遺体が発見された直後から、新聞やテレビで被害者の名前や写真がたくさん流れています。週刊誌の中には、被害者の家族構成や生活状況について書き立てたものもありました。遺族の個人的つきあいまで書かれているものもあります。さらに、インターネットでの書き込みには凄まじいものがあります。
プライバシーの権利とは、自分についての情報を適切にコントロールする権利と理解されています。「知られたくないことは知られない権利」「放っておかれる権利」といってもいいでしょう。
それなのに、なぜ、被害者は同意なしに実名や顔写真をさらされるのでしょうか。なぜ、遺族は同意なしに家族構成や生活状況を書き立てられるのでしょうか。なぜ、望んでもいないのにコメントを出すよう求められるのでしょうか。なぜ、お通夜や告別式の様子を写真やビデオに撮られるのでしょうか。
被害者や遺族は、自分についての情報を適切にコントロールすることが許されないのですか。知られたくないことは知られたくないと、放っておかれることは許されないのですか。私たちは、今回の事件をめぐる新聞やテレビやネットの状況は問題があると考えています。記事を書く人、ネットに書き込む人、それを見たり読んだりする人たちにも、この問題に気づいてもらいたいです。
横浜弁護士会は、報道機関や社会の人たちすべてに、被害者や遺族のプライバシーを尊重するよう求めます。
2015(平成27)年3月26日
横浜弁護士会 会長 小野 毅
私も、今回がきかっけとなって、被害者のプライバシーに関して、マスコミ、メディア側の一方的な主張だけでなく、視聴者、読者も含めて議論されるようになるとと良いと思う。