組織の外に出て身にしみる「信用」のありがたさ
組織の外に出て身にしみる「信用」のありがたさ
・信用がないまま仕事をするとどうなるか
数日前のブログに、DeNAの南場智子さんの例を書きましたが、大学の人間に限らず、「○○会社の鈴木です」って言って、その○○会社が世間一般に認知されている会社であれば、直ちに、一定の信用を世間から自動的にもらうことができます。
このことに気がつかせてくれたのが、不動産でした。一般の不動産業者と接触することがあるのですが、どこの会社にも所属せず、個人で事業を行っているような場合、特に相手にするのが、若い人や女性だったりすると、なめてかかってくる不動産業者も少なくありません。
これがもし、若い人や女性であっても大手の企業に所属している場合なら、きっとそんなことはないのです。バックに存在する組織を相手にすることになるので、業者も身構えることになるでしょう。
数年前の出来事ですが、不動産の世界に入って間もないときに、肩書き、会社のありがたさを痛感しました。
例えば、起業する場合、元々いた会社から独立するのであれば、もしかしたら、お客さんを連れて行ってしまったり、もしくは、その会社自身をお客さんにできる場合もあるので、ある程度の信用は確保されるように思いますが、
完全なお門違いの分野に入ってしまうと、この信用のありがたさというものを一層実感できます。
・信用は与えられているに過ぎない
いきなり信用が与えられてしまうと、それが当たり前のように感じますが、そのことに気づいていない人は、私の周りにも非常に多い気がします。会社でも何でもある組織が社会から信用されるに至る背景には、創業者や諸先輩方の多くの地道な積み重ねがあるわけで、新参者は、その上にあぐらをかいているに過ぎません。
新参者は、その信用をただでもらえて、しかも給料までもらえるって、こんなおいしい話が世の中に転がっているとは到底思えない。
「初任給から始まる不幸」というブログの中にも書きましたが、
以前に六本木ヒルズでこの話を雑談でしていたら、その輪の中の全ての人に賛同をいただきました。
そう考えると、就職なんてないのが当たり前で、あったら儲けものくらいの感覚で丁度いいかもしれません。ただ、私もそうでしたが、当事者はそうもいっていられませんね。残念ながら、そんなことを学生でいる間に、社会に出る以前に教えてくれる人は誰もいません。
その点が、学生と社会との間に極めて大きな意識のギャップを作っている要因の一つだと思います。逆にそのことに早く気づいて行動力のある人は、学校なんて行く必要はなくて、中卒で十分だとも思います。
現状の就職難、ポスドクの就職難という事態は、上記の意識の欠如を強く物語っている気がします。
そう考えると、どんなことについても、ひたすら感謝、感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。
逆に、うまいこと、組織に所属することができれば、諸先輩方の蓄積(積分)をそのまま、自分の信用(初期値)として出発することができ、その上に積み重ねられるという、最大の恩恵を受けることができるわけで、ありがたい以外のなにものでもありませんね。