やる気がなくても仕事がしたくなる理由
「これやりたい」「楽しそう」と思って仕事を選ぶと成功しやすいと言われています。
では「それほど興味ない」という気持ちから始めるのは、やっぱり無駄なのでしょうか。
知人に熱心に誘われて、田んぼの草取りの手伝いに伺ったことがあります。当時の私は、「庭の草取りだって面倒なのに、なんで田んぼの草取りをしなくてはならないの?」と思いました
暑い日差しを浴びながら、泥まみれになって草取りを始めました。
つまらない単純作業の連続です。慣れない田んぼの作業は、身体的にも気持ちの面でも負担がかかります。でもやっているうちに少しずつ雑草の抜き方や水田の動き方のコツがつかめて、気持ちに余裕が出てきました。そうすると、「どうするともっと効率が良くなるか」、「身体を上手く使うにはどうすればいいか」など、工夫しながら作業するようになります。ふと自分の心の中を振り返ると「もしかして私は楽しんでいるのでは?」ということに気がつき始めました。
初めての田んぼ。
自然と一体化している自分。
この自分を感じたとき、自然への畏敬の念と共に、幸せな気持ちがわき上がってきたのです。
草取りの作業が終わり、手作りのお料理を振る舞っていただきました。さぞかし美味しく感じられるのではないかと期待していたのですが、ちょっと違いました。お料理の美味しさを忘れてしまうほど、田んぼの作業で得た幸福感のほうが自分には価値があったのです。
その価値を感じてしまうと、「農家さんに貢献できた」ということは結果であって、そのときの私にはそれほど大事ではないと思えました。
江戸時代初期の思想家・鈴木正三(すずきしょうさん)は、「何の事業も皆佛行なり」 と考え、「ただ無心に行動することで気づきが得られる」と言います。
正三の時代は、悟りを開こうと思えば寺院にこもって修行しなくてはいけないと考えられてきました。しかし正三は、日々の仕事こそ仏行であり、仕事をすれば自動的に世の中に貢献することになり、ただ仕事に感謝して働けば悟りが開けるということを言ったのです。
「この仕事が好き」「楽しそう」と思って仕事を選ぶと成功しやすいかもしれません。
でも「何が好きか分からない」「何をやりたいか分からない」ときもあります。
それに、既に知っているような仕事は予想がつきますが、予想がつかないような新しい仕事はやりたいかどうか判断できないものです。
それどころか、知っていることが十分認識できているわけでもありません。「やってみたかった」と思ってやり始めた仕事が、実際はそうでもなかったという経験を持つ人も多いと思います。
自分が見えている世界は、経験からくる前提や思い込みから出来ています。
経験してみると何かしらの「気づき」があって、想像していた世界と違って見えてくるということがあるのです。
ご縁があったらまずはやってみる。そこから自分が変わっていくということがあるのだと思います。
【参考文献】
・堀出一郎『鈴木正三 日本型勤勉思想の源流』麗澤大学出版会(1999)
※追記:雑草や花粉アレルギーが出ることが分かり、残念ながらその後田んぼには行ってません...。