オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

「こんなはずじゃない」涙を流したMさんがつかんだ成長のチャンス

»

「こんなはずじゃない。私がこの会社でやりたかったのは、このようなことではないのです」

弊社のお客様Mさんが涙を流しながらおっしゃっていた姿が忘れられません。
その会社は元外資系企業のトップを務めていたプロ経営者に変わったばかりで、激しい変革の途中にありました。この変革とは、伝統ある古い企業文化を見直し、グローバルに対応できるような新たな企業文化に変えていこうというものです。

古参の社員であるMさんは若くして出世され、ずっと責任あるお仕事を任されていました。しかし新しいトップの方針に対して、ご自身の理想と現実の狭間で葛藤が起こり、ついに愛してやまないその会社を去ることになります。葛藤を経て、新たな境地に立つための決意をされたのです。

「こんなはずじゃない」。

これまで努力を重ね、積み上げてきた人生の中で、あるとき訪れる「こんなはずじゃない」という経験。そして蓄積が大きければ大きいほど「こんなはずじゃない」を受け容れようとしたときに襲ってくる葛藤や精神的な修羅場。こんな経験をされた方は多いのではないでしょうか。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

「私の持論はですね...」と言う大人はよく見かけますが、「ボクの持論はね...」と言う子どもを見ることはあまりありません。

これは、大人が子どもに比べるとたくさんのことを経験しているからです。年齢が上がれば上がるほど、経験の積み重ねによって、自分なりの価値基準や持論を持つようになります。

経験を積むことは悪いことではないのですが、前提や思い込みにつながることも多くあります。今までの考え方が通用しなくなったとき、前提や思い込みが邪魔をして受け容れられずに葛藤が生じてしまうのです。

これが、年齢を重ねた大人が頑固に見えてしまう原因です。「分かっちゃいるけど」なかなか考えが変わらない大人が多いのは当然のことだったのです。

成人理論の教育家であるマルカム・ノールズは、「大人は自分の経験を認められないと自分の人格まで否定された気がするものだ」と言っています。たとえば、飲み会で「昔、甲子園で準決勝まで行ったんだ」と毎回自慢する方がいますが、その方にとっての甲子園準決勝とは人生で最も大切な経験。うっかり「決勝じゃなくて?」などと言おうものなら傷ついてもっと頑固になってしまうというものです。

「こんなはずじゃない」は、頑固だった大人が、自分の価値基準と外の世界の違和感が大きくなっていること気がついている状況とも言えます。この気づきこそ、新たな成長へ踏み出すチャンスでもあるのです。

しかし成長のチャンスは葛藤も含んでいます。葛藤を避けてしまうと、違和感を感じている世界に自分を合わせて生きていくしかなくなり、くすぶり続けたまま人生の時間を過ごしていくことになります。

冒頭のMさんは、自分の違和感に気づき葛藤で苦しみましたが、ついに限界を超えて違和感を受け容れざるを得ない状況となり、成長のチャンスを手にしました。

「こんなはずじゃない」。

そう思ったときこそ、頑固な大人が成長する時なのです。

【参考文献】
M.ノールズ『成人教育の現代的実践 ペダゴージからアンドラゴジーへ』堀薫夫,三輪健二訳,鳳書房(2002)

Comment(0)