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シューベルトの魔境に入ったまま帰ってこられなくなった歌手

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長身痩躯で、こけた頬、ギョロリとした大きな眼。

イギリス出身のテノール歌手、イアン・ボストリッジを初めて聴いたとき、その容姿と、音楽への異様なまでの没入ぶりにひきつけられました。

すごい歌手が出てきたと思いました。

ボストリッジは、歌曲の主人公に自らの魂をシンクロさせて歌います。
シューベルトの「水車小屋の娘」「冬の旅」で歌われる救われない最期を迎える主人公になりきって、音楽の旅をしているボストリッジ。

いつか将棋の羽生名人が「魔境に入ってはいけない」と言っていました。
将棋で、身も心も没入し、魔境に入ってしまうと戻ってこられない、という意味ではないかと思います。

ボストリッジは、完全に魔境に入り込んでしまった歌手。

シューベルトの魔境に、ここまで入りきったボストリッジの肉体と精神はいつまで持つのだろうか、と心配になってしまうほどです。

クラシックの歌手というものは、身体そのものが楽器です。
ある意味、器楽奏者より、身体のコントロールを冷静に保たなければなりません。
これは、私が自ら声楽をやってみて初めて分かったことです。
クラシックの声楽は、ピアノのような没入をしていては、身体が思うとおりに動かなくなるのです。

そのボストリッジの精神の高まりは、声楽という領域を超えているものだと思います。

音と音の間を粘着質な物質のように自由自在に操り、歌詞をまるでモノローグの台詞のようにとらえて、心の叫びを表現していきます。

シューベルトの「美しき水車小屋の娘」も素晴らしいですが、本日は、私の大好きな「夜と夢」を聴いていただきましょうか。

後半の2分16秒、「rufen,wenn derTag erwachat・・・」あたりから、表現しよう、表現しよう、とするきらいがありすぎるのがボストリッジらしいと思います。
私の好みで言うと、本当は前半の表現をそのまま持続し、いろいろ何かしようとしないほうが、この曲の静謐さが伝わるかと思います。しかし、やはり、この声。この表現力は素晴らしい。またこの作品をここまでテンポを落として聴かせられるのはやはり大変な力量と技です。
ぜひお聴きください。

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