シューベルトの「魔王」どちらの魔王が怖い?
シューベルトの「魔王」。
中学の音楽の授業でも聴いたことがある方多いかもしれません。
ゲーテの詩を読んで霊感を得たシューベルトが一気に書き上げたという傑作です。
昨日書きましたテノール歌手のボストリッジが「魔王」を歌っていますのでご紹介しましょう。
ボストリッジは、歌詞と音楽の中に魂から深く入り込み、まるで一人芝居のように表現する歌手。
「魔王」は、帰り道を急ぐ父親、恐れおののく息子、息子を誘惑し言い寄る魔王と、さらに語り手を演じ分ける必要があり、まさにボストリッジにうってつけの作品です。
ボストリッジの表現で、特に怖いのは3分7秒のところからです。
Ich liebe dich, mich reizt deine schöne Gestalt,(わしはお前が好きだ かわいい姿がたまらない)
魔王が、早く息子を手に入れたいという欲求を抑えながらの誘惑する、音と音の間を自在に操る甘い歌い方はボストリッジの独断場です。抑え込んでいる狂気を感じて心からぞっとします。
続いて、
und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt." (おまえにその気がないのなら 力づくだぞ)
の部分。
しびれを切らして抑えきれなくなってくる魔王の感情の高ぶりのすさまじさ。
魔王の「Gewalt!」(力づくだ!)という箇所の爆発が、この演奏最大の見所だと思います。
歴史の長いヨーロッパでは、古くから猟奇的な殺人が多く、子供を連れ去るものも数多くあったと言います。
「ハーメルンの笛吹き男」などは、童話であるにもかかわらず子供の頃読んで何か不気味なものが心の底に残っていました。
じつは、ボストリッジは音大を出ていません。哲学と歴史の博士号を持つという音楽家としても異色の経歴なのです。
彼の持つ知識や分析力が、演奏の表現に生きているような気がします。
ゲーテの詩は、もともとシリアスな意味で書かれたものではありませんが、シューベルトがドラマティックな解釈で書き上げたものです。歴史的な背景や独自の解釈での表現が素晴らしいと思います。
さて、ボストリッジの「魔王」楽しんでいただけたでしょうか?
今日は、もう一つ、同じ「魔王」でおすすめの演奏をご紹介いたしましょう。
人類最高のバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ の演奏も素晴らしいのですが、今日は、バス・バリトンのフィリップ・スライの演奏です。
低く朗々としたとした深い声を生かし、表現は抑え気味に歌っていきますが、テノールに比べると声が低いので、より魔王の凄みが出ているように感じます。
動画の3分から、ボストリッジと同じ場面。
ググーッと少しずつすごい圧力で押してくる底知れないエネルギーに鳥肌が立ちました。
ボストリッジと比較してみると面白いと思います。
この「魔王」、ピアノの伴奏が大変困難です。
馬の蹄の音を表現しているというオクターブの連続がきついのです。手の小さい人は特に困難を極めるでしょう。
この作品を伴奏してという依頼があると思わず身構えてしまいます。
スライの女性伴奏者は、スピード感あふれるオクターブワークで見事に弾ききっていました。