プレゼンテーションをしている人間は関係ない 皆は良い情報が欲しいだけ
「講演やプレゼンをしていて、お客さんの中で寝ている人がいたり、パソコンで明らかに違うことを始めている人を見ると、がっかりするし、腹も立つ。これほど力が抜けてしまうことはない。どうにかならないものか」
というご相談を受けます。
一生懸命講演している人に対して、寝てしまったり、パソコンで内職を始めてしまうのは、本来あまり推薦すべきことではありません。
また、プレゼンテーションの場合、用意されている資料をしっかり持ち帰れば何を話したのか内容は分かりますから、その時間は他のことをしていても、ほとんど問題ないわけです。
最近、企業の発表会に伺って感じることがあります。
記者は、ほとんどパソコンに記事にする内容を大急ぎで打ち込んでおり、目はパソコンに釘付け。ほとんど社長のプレゼンテーションを見ていないのです。
もちろん、新鮮な記事をできるだけ早く送ることも大事です。
また、伝える側の企業も、できるだけ正確な「良い記事」をできるだけ迅速に出してもらいたい、と思っていることでしょう。
しかし、話している側は、一生懸命準備をして練習してきたとして、自分が見られていないことを感じたとき、どう思うでしょうか。
「誰も私を見ていない。情報が欲しいだけなのね。これだったら、情報だけを間違えずに伝えればいいのね。」
「練習して、良い話をして、楽しんで帰っていただこう」という気がしなくなります。
そうすると、プロンプターで資料棒読みのプレゼンテーションをし、聴衆は情報を得て帰るという、よくある発表会になってしまいます。
プレゼンテーションは、そこにいる皆が楽しみ、作り上げるものではなく、情報伝達の場となっているのがよくある状況ではないかと思います。
私が一緒にお仕事をさせていただいていた指揮者のY先生が、指揮者としてデビューしたばかりの頃の話をしてくれたことがあります。
プロのオーケストラを指揮するということは、100人いる相手も一人一人が音楽について一過言持つプロであり、なかなか指揮者の思うとおりにならないものです。
「リハーサルをしていると、出番の少ない管楽器の人が、自分が吹かないところは週刊誌を読んでいるんだよ。当時のオーケストラの団員は荒っぽくて怖い人も多かった。”指示がわからない”と怒鳴られたこともある。もう、落ち込んでしまってね。ボクも経験が少ないから、オーケストラは合わないし、目の前が真っ暗になった」
これは40年前ほどの話であり、今は出番のないときに週刊誌を読むような人はいないかもしれません。
しかし、プロは、この人はどれだけの人かしっかり見極めて接しているのです。
「自分が勉強不足だと思った。だから徹夜で必死に勉強したんだよ。経験を積むうちに、Yさんと音楽をするのは楽しいって言ってもらえるようになったけどね。みんな集中してもらえるようになって良い音楽ができるようになった。」
【聞いてもらえない。見てもらえない。】
これは、ほとんどは自分の問題ということなのかもしれません。
最初は無視されたとしても、練習して、工夫をこらし、良い話を続け「この人の話を聞きたい」という人が増えてくれば、必ず仕事でも良い循環が起こっていくのではないかと思っています。