一生に一度の輝き
以前アルバイトをしていた精進懐石料理のお店で使っていた器が見事だった。
私は当時、和服で接客から、皿洗いから調理以外のことは一通りこなしていた。
和食で大変なのは、皿洗いだ。
高価で、小さな器が多い。酒器も多彩で、おちょこ一つ何万円もする。
洗うときは、どんなに忙しくても細心の注意が必要だ。
とくに、夏場に出されるガラス器は、高級になればなるほどガラスが薄く、ちょっとの力でも割れやすくやっかいである。
ピアニストではあるが、器を洗うときは、集中するために袂をたくし上げ、素手になった。
しかし、この仕事を辛いと思った事はなかった。
見事なやきものの器に触れている時、自分も癒されたからだ。
やきものは、食材を盛られたとき、触っているとき、水にぬれたとき、だた置いてあるときとは違った表情をみせる。
シェフによると、気に入ったやきものを来年も追加購入したいと思っても、もう無いのだそうだ。
作家がやきものを作るときというのは、火との対話から起こる。
宝石のように一生に一度しかないような輝きが出る。
お店では、数人の作家のやきものを使用していたが、私が特に心を魅かれたのが松元洋一先生の作品だ。
松元先生の作品は、何年見ていても飽きない奥深さとともに、軽やかさや、突き抜けた透明感があって素晴らしい。
聞くと、近年大病をなさったとのこと。
今年は、回復され、10月8日〜日本橋の丸善で個展を開催する予定だそうだ。
案内状にあった一文が印象に残った。
「人生の三分の二をやきものに没頭し、色々な事がありました。
病の時も過ぎ去り、夢を追い続けております。
未だ楽しくて、面白くて、新しい発見に、心躍る日々です」
シェフが松元先生からいただいたお手紙によると「死ぬような体験をし、今が人生の中で一番楽しい」と書いてあったそうだ。
生きていることの意味を根本から問い、人生の素晴らしい時間を手に入れられたのではないかと想像する。
だから、作品とは、人生が輝いている瞬間を切り取ったものだ。
新しい境地のやきものが楽しみだ。