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音大を出ていない指揮者 朝比奈隆はなぜ大成したか

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京都帝国大学(京都大学)法学部卒業、阪急電鉄に就職。阪急電鉄を退職後、プロの指揮者になる。

大巨匠、指揮者、朝比奈隆さんの経歴です。

朝比奈さんは、音楽大学を出ていません。

しかし、朝比奈さんの音楽は、70歳を超す頃から類い稀なる深みを見せ始め、80歳頃にはもう誰も到達できないほどの領域に達せられました。
私は、まだ「ブルックナー」がなんたるかも分からないような時期から、どんな有名なピアノ演奏会よりも、朝比奈隆さんのブルックナーやベートーヴェンの演奏会だけには通わせてもらいました。

魂が広々としてくるような雄大なブルックナーは、小賢しさなど微塵も感じられず、まるで大船に乗ったような深い安心感を覚えました。

まさに「大器晩成」という言葉は、朝比奈隆さんのためにあるような言葉です。

そこには、並外れた音楽的な才能や努力ももちろんあったのでしょうけれども、指揮者として成功するにはそれ以上に「運気」が左右します。大成されたのは、運気を呼び込むその人間的な魅力があったからに他なりません。

2014年7月31日日本経済新聞「指揮者列伝5」では、朝比奈隆さんについて特集されていました。

     ・・・・(以下引用)・・・・

プロとなった朝比奈を引き立てたのは、先達の山田と近衛だった。40年に新響を指揮して東京デビューを果たした際には、山田が楽屋番まで買って出て、音楽学校を出ていない朝比奈を周囲の雑音からかばった。いっぽう近衛も、関響の結成直後から助言を惜しまず、朝比奈もまた日本の交響楽運動の祖である二人を尊敬し、「山田先生と近衛先生の子分になって本当によかった」と述懐している。

 さらに、関響を草創期から支えたのは、住友銀行頭取の鈴木剛や大阪商工会議所会頭の杉道助をはじめとする関西の財界人たちであり、のちには東京高校の同窓生だった住友金属の日向方齊、住友銀行の伊部恭之助らが、友情篤(あつ)く、ときには厳しく叱咤(しった)激励しながら、物心両面で朝比奈の音楽活動を支援した。

     ・・・・(以上引用)・・・・

記事からもわかる通り、朝比奈さんの人間力は、当時の音楽界の重鎮はもちろんのこと、関西方面の財界人までも巻き込んでしまうほどだったのです。

そして、記事の最後にあった

「一日でも長く生きて、一回でも多く舞台に立て。そうすれば最後はお前が必ず勝つ」

という恩師メッテルの、朝比奈さんに贈った言葉が、心に強く残りました。

「まだ人生の勝負は終わっていない。」

朝比奈さんの音楽を思い出すと、いつもこの言葉が聴こえてくるような気がしています。

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