日本で最初にオーケストラを指揮した指揮者
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「からたちの花」や「赤とんぼ」の歌は日本人であれば知らない人はいないほどの名作です。
この作品を作曲した作曲家の山田耕筰は、日本最初のオーケストラ指揮者でもありました。
今でこそ作曲家と指揮者は別だと思われていますが、20世紀の初めまでは、作曲家が指揮をするのが一般的だったのです。
山田耕筰は、親しみやすい童謡作品で有名ですが、実は、本格的なオーケストラの作品も書いています。
ただ、当時の日本では、その作品を演奏できるオーケストラがまだありませんでした。
そこで、三菱財閥の総帥。岩崎小弥太男爵援助でなんとかオーケストラを立ち上げたのです。
その山田耕筰のことが2014年7月3日日本経済新聞の「入門講座」にて書かれていました。
・・・・(以下引用)・・・・
岩崎は、オーケストラをやるからには山田が「経営に当たりながら指導するのでなければ」という考えの持ち主だった。だが男爵から受け取る月500円の運営費では到底成り立たない。山田は借金で楽団員の給料をまかないつつ、がむしゃらに6回の演奏会を行うものの、女性問題と金銭のトラブルが岩崎の逆鱗に触れて支援を打ち切られ、管弦楽部はわずか1年で解散に追い込まれる。
山田の音楽家としての才能は、当時の日本にはまだ早すぎた。
・・・・(以上引用)・・・・
オーケストラの運営はお金がかかります。
ただ、オーケストラがなければ本当の意味でクラシック音楽を広める事は出来ません。その後山田耕筰は、現在のNHK交響楽団の全身である日本交響楽協会を設立することになるのです。
初めてのことというのは、どんなことでも困難が伴います。
しかし、このような先駆者がいたからこそ、今の私たちがクラシック音楽を楽しむことができるのですね。
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