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ライフワークとしての学びを考えます。

他人のすることが何でもかんでも気に入らない人が世の中にはいる

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AKBの事件は、ついにそういうことになってしまったのかという思いがしました。

人のことは出来るだけ信頼したい。
しかし、人が何を考えているのか分からないところもあります。

私は、AKBの方々とは違いますが、それでも、一人でフリーの仕事をしているということは、守られるものもなく、面識のない方々とお会いすることも多いのです。どれだけ安全なものかは確信は持てませんが、それでも自分を守るための一線を張っています。多少仕事が減ったとしても、この人は本当に信頼できそうだ、と思う方とお仕事をさせていただいています。これが出来ているという状況は、ある意味とても有り難いことで、幸せなことだと思えます。

以前は、誰でも彼でもウエルカムのところで仕事をしていたこともあり、それはそれで大変良い修行になりました。しかし、一人でやっていて「自由にいろいろな人が来る」そして、「断れない」という状況は、リスクが伴うということなのです。怖い思いをし、弁護士さんに相談に行ったこともあります。

自分は世の中のためになる、と信じてやっていたことで、後悔はありません。
でも、何もなかったのは運が良かった。
自分は危険という薄氷の上にいたのだと、今は思えます。

2014年5月29日日本経済新聞の「春秋」にて、AKB事件のことが書かれていました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

こうした手合いは、多くの場合、力の強い大人の男性を襲ったりはしないものだ。「誰でもよかった」という相手は子どもや女性、お年寄りである。あざとい計算を働かせ、自分より弱い者を狙っている。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・


どうしてこのような思いを持ってしまうのか?
動機は何なのか?

それは、なりたい自分になれず、社会に対する鬱屈を持ち、その塊を大きくしていったのではないか?
とも思えます。

しかし、「春秋」でも引用していた、宮部みゆきさんの「火車」からの一文は、心の闇の本質をついていると思えました。

「火車」の登場人物、本間俊介刑事の息子、智君が可愛がっていた犬を、友達に殺されたときのこと。本間刑事の友人、井坂恒男が、智君に言った言葉です。

「他人のすることが、何でもかんでも気に入らない人が世の中にはいる。自分の気に入らないことを見つけると、まずそれをぶっこわしておいてから理由をでっちあげる」(宮部みゆき『火車』より)

「世の中にはいる」
宮部さんの小説では、そう限定されていますが、私は、自分の中にもそんな思いが眠っていないか?と感じることがあります。それは、普段光を当てないようにしている心の深いところにあるものです。

行動してしまった人は、光を当てずに、その塊がふくらんでいることに気がつかなかったのではないかと思えるのです。

人間なら誰もが持つエゴ知ること、そして見つめること。
その思いを祈るような気持ちで持ち続けています。

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