「親の死に目に会えないと思え」という教育が良いのかどうか
母校の出身者が厳しい指導で知られるのは、やはり伝統のようです。
私が初めてピアノを習った桐朋学園出身の先生は本当に厳しかった。
紹介してくれた先生が「怖いわよ〜」と言っていましたが、先生の家に初めて伺って玄関口でニコリともしないのには子供心にビビりました。
そして、その子供になんと言ったか。
「親の死に目に会えないと思いなさい」
私は自分のレッスン生にとてもそのようなことは言えません。
先生は子供に対しても真剣勝負だったのだと今更ながら思えます。
先生のおかげで音大付属高校から入学しましたが、入学して早々に入ってよかったのかどうか悩みました。成績上位数人だけが優遇され、それ以外は、相手にされません。学内では徹底したエリート教育を行っていたのです。
(ただし私の入学した時代は、全盛期にくらべるとすでにかなり柔らかくなっていたそうです。そして、最近はさらにいろいろなレベルの学生にもチャンスを与える方針になっているようです)
ただ、上位に入らなかったとしても、校舎は女子校の間借りでレッスン室が少なくても、環境は日本の音大では最高だったのではないかと思います。
「立っち」するかしないかの年齢から練習している子ばかりで、何でも弾ける。私は、始めるのも遅かったし、どんくさかったし、周囲より遅れていました。でも、なんとかして追いつこうとし、学校が朝5時からレッスン室を開放しているので、始発に乗って早朝練習も始めました。
そして、驚いたことがあります。
その早朝練習に行くと、学年で上位に入っているような子がきちんと来て練習していたのです。
みんな、努力している。
そのときの経験から、学校に入れてもらえ、厳しい環境にいさせてもらったことが今となっては、とても良かったと思えます。
学生時代に本物が学べたからです。
ある相撲部屋の親方が言っていたことが心に残っています。
「もし相撲を辞めたとしても、どの世界でもやっていける」
2014年5月19日日本経済新聞「こころの玉手箱」に龍角散社長の藤井隆太さんのインタビューが掲載されていました。初めて知りましたが、藤井社長は桐朋学園出身だったのです。
・・・・・(以下引用)・・・・・
桐朋学園大学の「子供のための音楽教室」にも通った。中学生になり、オーケストラの練習が始まる時、怖い顔の男性がピアノに寄りかかって「親の死に目に会えないと思え」と一喝した。多くの音楽家を育てた名伯楽、斎藤秀雄先生だ。練習でも絶対に休めない。遅刻などしようものなら「プロだったらクビだ。おまえも出て行け」と、問答無用で追放した。コンサートマスターが失敗すると、隣の者にやらせる。うまくできればその場で入れ替えた。
・・・・・(以上引用)・・・・・
藤井さんは、製薬会社などを経て94年にお父さんの跡を継ぎ、龍角散に入社。売上高と同額の債務40億円を抱えていた95年、社長に就任し、10年で会社を見事に立て直します。
社会に出られてご苦労をなさったと思います。
しかし、子供の頃、桐朋学園の創設者、斎藤秀雄先生直々に仕込まれた魂はどんな世界でも通用するものだったのではないでしょうか。
子供の頃に厳しい環境を経験して、こんなことが役に立つのだろうかと分かりかねていました。
しかし人生にとって悪くない。最近は、自分の人生を振り返ってやっとそう思えるようになってきました。
そして、今や時代性や環境を考えると誰もが出来るわけではない「誰もが受けられない教育を受けさせてもらったのだ」という有り難いご縁を深く感じます。