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ライフワークとしての学びを考えます。

指導とは責任を引き受けること

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ピアノの先生といえば、一般的に「怖い先生に厳しく指導される」「ときには手も出る」というイメージが強いそうです。

もちろん優しい先生も多いかと思いますが、私が最初に師事した先生はとても厳しく、私だけでなくレッスンに同行する母親に対しても「家庭でどういう教育をしている」と、ピアノ以外のことでも率直におっしゃっていました。

最近、年配の先生とお話する機会があったのですが、「最近の子は教えにくくなった」と言っておられるのが印象に残っています。きちんとしたレッスンをするには、ある程度の厳しさが必要ですが、最近の親子は繊細すぎて耐えられないのだそうです。
少子化でピアノを習う子も少ない昨今、「厳しく言って辞めてしまうよりは、言わないほうがまだマシ」となってしまうので、まるで腫れ物を触るようです。
ある有名な先生も「今の子はご機嫌取り取りやらないと。辞めてしまっては、ただでさえ少ない音楽会に来るお客さんも減ってしまう」とおっしゃっていて、「ああ、この先生でもそうなのか」と思いました。それほど今は難しい時代なのです。

国民栄誉賞を受賞した名横綱千代の富士、今は九重部屋の九重親方も「最近の子は自分が教えられたときと同じようにはできない」と言っているのを聞いたことがあります。

2014年5月17日日本経済新聞「シニア記者がつくるこころのページ」に、その千代の富士や北勝海を育てた、元九重親方、北の富士勝昭さんのインタビュー記事が掲載されていました。

お弟子さん不足に悩む相撲協会でも、昔ながらの厳しい稽古はなかなか出来ないと聞いています。
「なんとかして日本人の横綱が出てくれないか」という祈るような思いから、厳しいこともおっしゃっていました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

先場所(大阪春場所)大関稀勢の里のことに関連して思いあまってマイクを通じて言った。「放送時間が少し余ったので、相撲とりばかりが悪いんじゃない。指導するほうが悪いんじゃないか、と。大学からつれてきても三役くらいまでは早いけど、それ以上伸びない。それは指導が悪いからと言ったんだ」

     ・・・・・(以上引用)・・・・・

厳しいということは、真剣なのだと思います。
それは「怖い」ということとは別で、真剣に本当のことを言われたらそれは楽ではありません。キツいです。
そして、指導するほうも、なかなか本当のことを言えないものです。
本当のことを言うということは、言う方にも責任があるからです。

北の富士さんは、その責任を引き受けておられたから、厳しい指導も出来たのでしょう。

そして、歴史に残るような横綱を二人も輩出することができたのでしょう。

北の富士さんが育てた、千代の富士も北勝海も小兵。
大柄な力士の中で勝ち上がっていくには、普通の稽古では間に合いません。
子供の頃、北の富士さんが親方だった頃の九重部屋のドキュメンタリーを見たことがあり震え上がったことがあります。北勝海はあまりのキツい稽古に稽古場の陰で嘔吐していました。

その方の人生を引き受ける責任は重い。
それが本当の「引き受け」なのだと思います。

「指導する方が悪い」という、今の相撲会の現状に厳しい一言を放った北の富士さん。きっと「引き受け」の姿勢を問うていたのではないかと思います。
このインタビューから、すべての指導する者たちに対して「あなたたちにその覚悟があるか」という声が聞こえてくるようです。

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