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ライフワークとしての学びを考えます。

私塾の結束

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私は母校の門下生の会幹事をやっています。

師匠のお人柄もあると思うのですが、皆さんとても仲良く、年に何回も集まります。ちょうど来月も師匠を囲んで集まる予定です。
一匹狼の多い音大にしては、結束が高い方ではないでしょうか。

私が入学した頃は創世記よりだいぶ大所帯にはなっていましたが、桐朋女子高校の一部を間借りしての手狭な校舎で、いかにも「私塾」という雰囲気が残っていました。

2014年5月30日日本経済新聞に「クラシック 私塾の絆 吉田秀和・斎藤秀雄氏らの思い響く 世界に通じる人材輩出」という見出しで母校の紹介記事がありました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

なぜ桐朋女子か。それは吉田(秀和)氏が初代室長として創設した音楽教室の成り立ちを見れば分かる。「音楽の教育は、幼い時からはじめれば(中略)高いところまで進歩できる」(開設趣意書)と早期教育を確信し、斎藤(秀雄)氏や作曲家の柴田南雄氏らと共に、まず東京家政学院の市ケ谷校舎を間借りして開校した。
 授業は毎週土曜日の午後。初期の生徒は江戸(京子)氏や中村(紘子)氏ら約30人。第一線の音楽家が実地で教えた。音感教育やオーケストラでの訓練を重視した。第一線の音楽家が実地で教えた。音感教育やオーケストラでの訓練を重視した。8歳で初の演奏会を開いた堤氏は、9歳で入室し、チェロ奏者でもあった斎藤氏に師事した。早期教育を標榜する教室の申し子だ。
 だが初期の生徒が中学3年にさしかかると、高校での音楽教育が待ったなしとなった。そこで当時、敷地に余裕があった調布の桐朋女子高校に音楽科を設け、教室が移転した。「悪ガキどもが渋谷からスクールバスで通った」と堤氏は振り返る。幼少期から音楽教室で教育を受けた江戸氏や堤氏らと、斎藤氏に師事して高校から本格的に加わった小澤氏や東京交響楽団桂冠指揮者の秋山和慶氏(73)らが混然一体となって桐朋学園人脈を形成していく。
(中略)
東京芸術大学の向こうを張った戦後の私学だけに、結束は固い。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・


学生時代はあまり意識しなかったのですが、卒業すると同門の有り難さを改めて感じます。

母校も最近は、学校も大きくなってきていろいろな試みを行うようになっています。学校を運営する大変さもあると思いますが、今後も出来るだけ私塾の良さを残していってもらいたいと思っています。

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