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ライフワークとしての音楽を考えていきます

何を聞いてもすぐに答えを出してくれることへの危うさ

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自分で考えることが難しくなっている世の中だと思います。

仕事柄よく質問を受けることがあります。
そのとき、自分が何と答えるのがその方にとって良いのだろうか、と考えてしまうことがよくあります。

自分の中には、質問を受けると、「しっかりとした答えを用意しなければ失礼だ」と思ってしまうところがあります。専門的な内容ですっきりお答えできることもあります。そして良回答できれば自分も周囲の方々も安心する。

しかし以前、ある指導者に自分が質問したとき、明快な答えをいただけず、その答えから「自分で考える余地」を与えてもらったことがあります。
私が、答えを欲しがっているのを見透かされていたのだと思います。
このような回答をいただくと、最初はモヤモヤします。自分は満足な質問さえできないのかとさえ思えます。
しかし、なぜモヤモヤするのか?それは自分が気持ちよい答えを期待し、依存しているからだということに気がつきました。

質問者に対して「自分の頭で考える」ところを残すことは、いい加減な答えをすることとは違います。
相手の心を深く感じ、一歩踏みとどまるという胆力が必要だからです。
本当はすぐに答えをいただいたほうが両方が楽なのです
私だったら、耐えられなくてすぐに答えてしまっているだろうと思います。


2014年5月25日日本経済新聞でジャーナリストの江川紹子さんが、オウム真理教の記事に「遠見卓見」として書かれている文章が印象に残りました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

なぜオウムと教祖に魅力を感じたのか、信者たちに聞いたことがある。返ってきたのは、「何を聞いてもすぐに答えを出してくれる」という言葉だった。漠然とした不安を抱えていた若者たちは、大人たちが答えてくれない「正解」を用意してくれたオウムに力強さを感じていた。世の中は正解がないことの方が多いのに、学校で教わることには「必ず答えがある」。メディアには「わかりやすくて歯切れの良い」情報があふれ、白か黒かの二元論で考え、想像力の貧困な人々が増えているようだ。
陰謀論を信じれば、「自分たちだけが真実を知っている」という優越感を持つことができる。オウムは時代のカナリア(前触れ)だった。いま、オウム的思考はネットなどを通じて一般社会に広がっている。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・

江川さんの文章を読む限り、自分で考えずに答えを求める人が多くいる限り、社会にはオウムのような芽はいくらでも眠っているのではないかと思えます。自分の頭で考えられなくなってしまう組織は、いつか破綻します

私も、一日中ネットを見ていることがあります。そのとき、自分の頭の中は汗をかいていません。楽に受ける一方なのです。また学校時代のテストにも答えがある。答え合わせをすると安心していました。それ以降問いが続かないのです。

本当に自分の問いに自分で答えようとするのは、楽なことではありません。
しかし、そういうときの問いとは、問いが問いを呼ぶとでも言うのでしょうか。自分の問いが、さらに発展していることに気がつくのです。
自分に質問することによって、成長しているということなのかもしれません。

自分にある安易さを常に問うようにしなければならないと思っています。

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