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ライフワークとしての音楽を考えていきます

カリスマ性やリーダーシップを持つことの悲劇

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指揮者のY先生とは何年も仕事をさせていただき、最も強い影響を受けた素晴らしい指導者の一人でです。


Y先生は、ある時期において200人の合唱団を率いて、プロのオーケストラとスケールの大きいオラトリオなどの日本初演を行い、日本の音楽界を変革するような伝説の人物でした。しかし、私がY先生を知る頃は、ほとんど引退同然。なぜここまで・・と思えるほどの、ある一つの小さな合唱団だけを指導されていました。

しかし、稽古場に一歩入ってくるだけで空気感が変わるような凄まじい存在感を持ち、カリスマ性とはこのようなことを言うのだろうと思いました。桐朋学園に小澤征爾さんが指導にいらしたときと同じものを感じました。

私は、先生ほどの人が、なぜこんなところで甘んじているのか?
理由が分からずにいました。


Y先生の指導は、爆発的なパッションと、神通力があり、こちらの気持ちに火をつけるようなパワーを持っていました。これは、一流の指揮者になくてはならない大事な資質。音大の教職への話もあったようですが、「オレは大学の先生は受けない」と言い、確かにアカデミックな音大には絶対に存在しないタイプの指導者で、私は本当に先生とのお仕事が新鮮で、音楽の素晴らしさに目覚めていきました。

先生は本物だったのです。

先生の指導では指導を受ける側の心の姿勢も強く求められます。口癖は「まずは真っ白になれ」でした。

確かに、アマチュアで、すでに大人であれば、知識でがんじがらめになり、あれこれ考えるだけで身体が動かなくなります。
音楽の場合は、頭で理屈を考えていても良い演奏はできません。先生のおっしゃることは正しいのです。

そして、その先にこそつかむものがある。

あるとき、仲間につれられて東大の大学院生がやってきました。

先生の話を黙って聞いていたその東大生は、少し斜に構えているのが感じられました。そして、「あなたは一流一流というが、一流ってなんですか?一流になれるんですか?」と突然質問したのです。
先生はその質問にまともには答えず、ただ「一流が何か考えているうちは一流にはなれない。行動することだ。」と言いました。「そんなことは自分で考えろ」と言うことだと感じました。
その答えに、東大生の方は不満そうに黙ってしまいました。
音楽だけではなく、先生は何か人間の真実のようなものをつかんでおられるように思えました。


カリスマ性があってリーダーシップがあるということは、実は、危険と紙一重なんだと先生はよく分かっておられたのではないかと思います。

そういうリーダーに、メンバーは「この人は何と言うだろう」「この人の言う通りにしていれば間違いない」「この人に認められたい」という気持ちを抱いていきやすい。
事実、私も、「先生だったらこういうときどうするだろう?」とふと考えている自分に気がついています。

つまり、メンバーが自分で考えなくなってしまうのです。

プロのオーケストラならば、絶大なカリスマ性のある指揮者の指導でも、時間がたてば「そうは言っても・・・」と考えるものですが、アマチュアの場合は特にワンクッションなしにまっすぐ入っていきやすいのです。

そして、自分の頭で考えられなくなってしまう組織は、いつか上手くいかなくなります。

先生は、そのことをよくご存知だったのではないかと、今さらながら分かったような気がしました。
当時、先生は、名も無い小さな合唱団に、何かの覚悟を持っていらしているように感じていました。ご自分が200人の合唱団とプロのオーケストラとではなし得なかった何かを解決なさろうとしていたのかもしれません。

しかし、持っている資質というのは隠しようが無い。黙っていても周囲にいる人たちに大きな影響力を持っていました。

ある日、仕事が終わり、メンバーのいない廊下で「私が未熟だからです」とぽつりとおっしゃっているのを聞いて、当時の私はその深い意味が分からず言葉を失いました。

人も羨む、類い稀な資質と才能とを持つ天才の苦しみを見たような気がしました。

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