オルタナティブ・ブログ > 永井千佳の音楽ブログ >

ライフワークとしての音楽を考えていきます

友達とつながっているって何?つながっていないところにこそきちんとした友情があるのではないか

»


私には、1年半に一度くらい電話をする友人がいます。
きっとお忙しいだろうに申し訳ないなあと思いながらも、近況報告などのお電話をします。

彼女はある時期、仕事の現場で共に苦労した仲間。
ご自分の与えられた任務に献身しておられる姿は今でも忘れることが出来ません。

あちらはどう思っておられるか分かりませんが、私は大事な友人だと思っています。

たまにする電話だけなのに、大事な友人とはおかしな話かもしれません。
もっと頻繁にお会いすればいいのではないかと思うのですが、そういうこともせず、しかもFacebookでつながってもいません。
会っていなくとも、ソーシャルで今何をしているのかも分からなくても、あるときふと思い出します。そして「いつかまたお会いするときは、あのときよりは成長できている自分でありたい」と願います。

私は、何でも相談したり、一緒の時間が長いほうが、つながりが深くなり、仕事も上手くいくと思っていました。
しかし、距離感がつかめていないと、それはあっという間に「甘え」につながります。
仕事で一生懸命になってしまうと、距離感が見えなくなり、あるときハッと気がつくと、相手に対してべったりと寄りかかっている自分がいて、驚いてしまうことがありました。

また、仕事で知り合ったある女性が、最初はおっかなびっくりだったのが、あるとき距離感が縮まったとたん、ものすごい勢いで寄りかかってこられた経験がありました。友情にも一線があり、そこを一歩越えると「何でもアリ」になってしまうのです。「この人は自分の言うことを聞いてくれる」と、要求がエスカレーションしていき、振り回され、生活が一変したことがありました。しかし、代償を求める関係は長続きせずいつか崩壊します。

良い友情関係ほど距離感を想像できなくてはならない、と思い始めたきっかけです。

「甘え」とは、たるんだ体型と同じで重力に正直なのです。
それは、油断すると際限なく落ちていきます。
意志の力をもって重力に逆らわなくてはなりません。

2014年4月23日、日本経済新聞の「夕刊文化」で伊集院静さんのインタビューが目にとまりました。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

友情で大事なのは覚悟だと思う。絶対ベタッとしないぞとか、距離感を保っておくぞとか。時には冷たい関係も求められる。友が大変なときに「頑張れ」というのは簡単だが、相手は涙を流すだけで実際に頑張らないことが想像できる場合、あえて声をかけないのも友情だ。
フェイスブックを使う人が「つながった」と言うが、私は「つながっていないだろう」と思う。生身の人間同士が交流することで得るものの尊さを分かっているつもりなので。今の若者には「かっこいい生き方をしたかったら、きちんとした友情を獲得しろ」と言いたい。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・

それは、「これ以上近づかない方が良い」と、ただ距離感を持つことを言っているのではないと思えます。

相手が何を感じているのか?何が相手にとって一番良いのか?を想像する想像力なのではないでしょうか。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する