フィレンツェの大聖堂は愚か者の大口たたきが造った傑作
昨日から2014年のGWが始まりました。
海外旅行に行かれる方も多いのではないでしょうか?
数年前、勉強もかねて、イタリアのフィレンツェにアパートを借りて滞在したことがありました。
フィレンツェは歴史の息吹が感じられる大好きな街。
フィレンツェでは、歴史ある建築を保つために11月まで暖房が入れられない法律があり、10月に北イタリアを襲った寒波には震えました。ホテルではなくアパートを借りたことで、市民の誇りと辛抱が、素晴らしい歴史的建造物と世界遺産として最も高名な地位を支えているのだということを身を以て体験したのです。
フィレンツェで印象に残るものは「ドゥオーモ」の呼び名で親しまれている、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母)大聖堂です。青い空に浮かんでいるこの壮麗なドーム建築を見ていると人間の無限の可能性を感じさせずにはいられません。
1436年に完成したドゥオーモ、ここで使われた工法は600年後の現代の専門家でも完全に解明しきれてはいません。
この建築物を建設したのは、小柄で短気な天才建築家、フィリッポ・ブルネレスキ。後の天才、レオナルド・ダ・ビンチもブルネレスキの方法をスケッチに残して参考にしているほどです。
しかし、天才のアイデアというのは、時代の先を行き過ぎるのが世の常。
ブルネレスキも例外ではありません。
「ナショナルジオグラフィック」2014年2月号に、ドゥオーモとブルネレスキについての特集がくまれていましたので、引用してご紹介しましょう。
・・・・・(以下引用)・・・・・
(当初は無名でコネもないブルネレスキが、市が計画した大聖堂建築コンペに参加する)ブルネレスキという金細工師が、一つではなく二つのドームを建てると大見得を切ってみせたことだ。短期で小柄な、さえない風貌のこの男は、外側のドームの内側にもう一つのドームを造るという二重構造を提案し、手間も費用もかかる迫り枠を使わずに建設すると約束した。ただし、ブルネレスキはライバルにアイデアを盗まれるのを恐れて、具体的な方法の説明は拒んだ。そのかたくなな姿勢は大聖堂造営局の委員たちとの激しい口論へと発展する。彼らは2度に渡りブルネレスキを議論の場からつまみ出し、「愚か者!大口をたたくな」とののしった。
それでも委員たちはブルネレスキの謎に満ちたデザインに想像力をかきたてられた。もしかすると、この「愚か者の大口たたき」が天才だということを、すでに知っていたのかもしれない。(中略)ブルネレスキと何度か面談した委員たちは設計案の詳細を聞き出し、それが危険ではあるが素晴らしいアイデアであるという認識を徐々に深めた。
・・・・・(以上引用)・・・・・
無事、ブルネレスキのアイデアはコンペを通過。現代でも解明できないほどのまったく新しい建築方法を採用した審査委員たちもさすがだと思いますが、何が何でも自分のアイデアを信じきったブルネレスキも大したものです。
ドームの建設は順風満帆とはいかず、ライバルたちとのさまざまな陰謀や卑劣なストーリーを生むことになるのですが、最終的にはブルネレスキと職人たちは勝利の歓声をあげることになります。
フィレンツェにドゥオーモの鐘が鳴り響くと、大聖堂の地下に眠る、ルネサンスという革命の時代を行く先駆者の「可能性を信じろ」という声が聞こえてくるような気がします。