なぜ女性は人前で泣く人が多いのか 男性より私の方が出来るのになぜ良い仕事をもらえないのか
最近、人のスピーチを聴かせていただく機会が増えてきました。そのとき、話していて感極まり泣いてしまわれる女性が多く、また、泣かなくとも、早口で何を言っているのかよく分からなくなる方も多いように感じます。
ここ一番のスピーチで、極度な緊張からか、泣いておられ、言葉が不明瞭になる方を見たとき、「可哀想だな」「謙虚で感受性が豊なのだな」という反面、「もしかしたら仕事で損をしておられるのではないか」と思いました。
逆に、男性の方でどんなに辛い立場にあっても泣いてしまうような方はほとんどいらっしゃりません。本当にごくたまに見かけますがほんの少数派です。
ある企業のマネージャーさんとお話していたときのことです。「女性のほうが泣く方が多いでしょうか?」とたずねますと、「確かに、男性と比較すると、女性のほうが泣く方が多いね」とおっしゃいます。ただ、「女性でも、ここ一番でしっかりお話ができる人に、大事な仕事をお任せしたいね」とおっしゃっておられたのが心に残りました。
あるセミナーで、女性技術者の方が「職場では自分のほうが仕事が出来るのに、いつも男性のほうに良い仕事が与えられる。」と、泣きじゃくり、悔し涙を流しておられたのを見て、そのお気持ちは尊いと深く感じました。しかし、同じ女性として「泣くことで軽く見られてしまう、せめて泣かないで・・・」と心の中で祈るような気持ちになったことがあります。
泣くという行為が良いか悪いかは別として、大事なシーンにおいて緊張や動揺、または感情が高ぶりやすく、心が千々に乱れてしまうのを拝見すると、やはり大事なお仕事をお任せしたいかどうか考えてしまいます。
同じ実力なら、仕事で、もし動揺したとしても、落ち着いて、安定感を持って話の出来る方にお願いするだろうと、思いました。
私の場合、仕事に集中しなくてはならず、まだまだ余裕がないせいか、「泣く」という選択肢を思いつきません。
ただ、修羅場の場面で「泣いたら許してくれるだろうか」「可哀想だと思ってくれるだろうか」という思いが、チラリと頭をかすめることもありますが、次に話すべきベストな言葉を考え、必死の対応に迫られ、やはり泣く余裕はないのです。
もしかしたら、ちょっとした女の「甘え」が、泣くという行為に走らせるのではないか、と感じることがあります。ここで泣いて思考停止したら楽になる、許してもらえるかもという甘えです。
小学校のとき、尊敬する学校の先生が、簡単に泣いてしまう男子に「男は泣くな!」と一喝していましたが、そのとき、子供心に「女も同じではないかなあ。」と思いました。
同じ内容の仕事で、男性には厳しく接しても、女性には「00チャン、ダメだよ〜」と言う方を見ると、やはり小学校のときの「男は泣くな!」の体験がよみがえります。
大事な場面で泣いてしまう方のほとんどは、声が細く、呼吸の浅い方が多いです。
つまり、呼吸をつかさどる筋肉、「横隔膜」が使えていません。
まず第一声を聞けば、どんなスピーチになるか想像がつきます。
よく、演説やプレゼンテーションを聞いて、「この人は肚が据わっている」「この人は胆力がある」と感じることがあると思います。
そういう方は、確実に横隔膜が使えています。
私は、今でもものすごく「アガリ症」です。
何度やっても慣れなくて、先日の講演でも、話す前は怖くて帰りたくなってしまいました。
しかし、頭が白くなるのを救ってくれるのは、いつでも「横隔膜」です。
横隔膜にスイッチを入れて、第一声が上手く発声できると、「声が自分をしっかりさせてくれて」いつものしょぼい自分ではない別の人格が話しているように感じます。一人一人のお顔を見られるようになり、予定していなかった言葉があふれ、皆さんと共同作品を作り上げる気持ちにさせてもらえます。
気の弱い私ですから、もし横隔膜が使えなかったら、皆さんの前で泣いているかもしれないと思うことはよくあります。
人前でしゃべれなくなるのは、しゃべりたくないからではありません。しゃべりたくてもしゃべれないのです。それは本人にとってはコンプレックスになってとても辛いことです。
そのためには、横隔膜をトレーニングすることで、自信をもたらすことができます。
横隔膜をしっかり使って呼吸すれば、リラックスし、精神的に安定し、前向きに物事を考え、集中することができます。
弓道をする方は、どんなに緊張するような場面でも、矢を射るとき集中力を高めるために、息を止めず横隔膜をしっかり使って呼吸するそうです。
話せないのも、緊張するのも、すべて自分の責任だと思えば、問題は簡単になります。
女性も、もっと人前でしっかりと腹を据えて話せるビジネスパーソンが増えてくれることが、社会でのさらなる活躍につながるのではないかと思っています。