オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

スパルタ教育で十二指腸潰瘍に

»

今、日本経済新聞「私の履歴書」は小沢征爾さんです。

2014年1月8日は「音楽高校へ」でした。

小澤さんの入学した桐朋学園女子高等学校音楽科は、桐朋女子高等学校の軒先をお借りしての出発だったそうで今でも女子高の一角に校舎があります。だから、音楽科は女子高と書いてありますが、共学なのです。

私は、桐朋の音高時代、バイトをしてもすべて音楽会のチケッチ代に消えていたので、お昼はよく女子高の学食にお邪魔して、安くて美味しい定食や、お好み焼きをいただくのが楽しみでした。

ところで、この連載第7回。桐朋学園の創立者でもある、斎藤秀雄先生の猛烈ぶりが書かれています。

     ・・・・・(以下引用)・・・・・

(指揮のレッスンでオーケストラに見立てた2台ピアノを弾いて出来ないところをごまかすと)あまりの剣幕に、2人して庭からお宅を飛び出し、近くの公衆トイレの陰に隠れたら、奥さんの秀子さんが僕らの靴を持って追いかけてきた。でも、あのレッスンは後で役に立ったと思う。
(中略)
僕は目が回るほど忙しかった。先生に桐朋の学生オーケストラの雑用一切を任され、譜面台や楽器の手配、椅子並べ、パート譜の印刷、校正と次から次にやることがあったからだ。楽譜の間違いがあったり、譜面台が壊れていたりすると「小澤!」と怒鳴られた。(中略)なんで僕ばかりこんなに大変なのか、と一時期は先生をうらんだものだ。
(中略)
先生は子どもにも容赦せず、怒鳴りつけては震え上がらせた。保護者も何も言えなかった。

      ・・・・・(以上引用)・・・・・


その後小澤さんは、あまりの忙しさとストレスで痩せ細り、高校生なのに十二指腸潰瘍になってしまったのです。

この話を読んで、桐朋学園スパルタ教育の歴史の始まりを見る思いでした。

桐朋出身の先生と言えば「怖い」というイメージが出来てしまったようで、私が生徒さんを任せていただける前は、親御さんから「桐朋なんですか?厳しいんでしょう?」とよく聞かれました。(注:私は優しいです)

でも、私が子どもの頃おけいこしていただいた先生は、桐朋出身の方でした。
私がレッスンにうかがうと、ご自宅でも香りの良い香水をなさり素敵なスカーフを巻いておられて、先生ご自身も緊張感を絶やさずにご指導しておられました。レッスンは容赦なく、涙が出るほど本当に厳しかったのを覚えています。レッスンに同伴していた母親にも「どういう教育をしている」と厳しい言葉をおっしゃっていました。

でも、レッスンは嫌いではありませんでした。なぜなら、その厳しさは、魂の入った本物の教育。こんな私にここまで情熱とお時間をかけていただけることが子供心に嬉しかったのです。
先生のご指導は、厳しくても愛があったと思います。

しつけ不十分で育てられ甘やかされた私は野猿のようなものでした。西郷隆盛の末裔で貴族出身でもある先生のレッスンでは、マナー、態度、根性から叩き直されました。

今の私があるのは、その子ども時代の先生のおかげでもあると今でも感謝しています。

Comment(0)