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ライフワークとしての学びを考えます。

自然さの裏には緻密な計算がある

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マンションの1階に住んでいます。
 
1階は、専有部分と言って庭がついています。
今の時期は植物の育ちが良く、一雨降れば雑草が元気良く生えて、すぐに草取りをしなくてはなりません。
 
以前は草取りの時間もとれたのですが、最近は草取りをする時間がなくて、困っています。
しかし、荒れてぼうぼうになった庭を見るのもかえってストレスがかかるものです。
それならと、心機一転1年半前から庭に花壇をつくり花を植えることにしました。
初心者ですので、丈夫なものをと、まずはマリーゴールドから。
秋からはパンジーに植え替えるつもりです。
 
庭に花があるのを見るだけで、ずいぶん癒しになると思いました。
また、ガーデニングで土をさわっていると、最初はつまらないのですが、ついつい夢中になっています。なぜか心の奥底が喜んでいるのです。ガーデニングにはまる人が多いのも分かる気がします。
 
 
知人の料理研究家の先生が、ガーデニングも大変上手です。
 
先生のお家にうかがうと、季節の草花や野菜がバランスよく植えられていて、都会のど真ん中にいるにも関わらず、豊かな自然に触れているように感じられます。
野の花やハーブ、ブルーベリー、バラなど、微妙に境界線をひかずに、一見無造作に植えられています。しかし良く見ると、計算された細やかさがあり、植物がごく自然に生えているようにセンス良く配置されていて、人口くささがないのです。蝶やカマキリなど、昆虫も寄ってきます。
庭に引き込まれて、いつまでも見ていたいと思い、ついつい長居をしてしまうのです。
 
これは上級者の庭だと思いました。
 
私の庭は、「はい、ここはお花」「はい、ここは芝」「はい、ここは生垣」と、いかにも人工的に作られた庭で、自然さがないのです。
 
文章もそうです。
生真面目に書いていても、それはそれでよいのですが、読み手が「今ここで即興で思いついたように」「何かが降りてきたように」、いかにも自然に感じられるように書くということは、とても難しいことだと思います。
文章が自然に感じられるということは、ただ自由に何も考えずに書いているのではないのです。
 
先生の庭を見ていて、文章のことを思わずイメージしてしまいました。
 
私は、最近は庭をいじる時間がとれなくて、目を覆うばかりの雑草に耐えかね、とうとう一部に人工芝を敷いてしまいました。
さすがに人工芝から雑草は生えてきません。
 
目指すナチュラルガーデンからまた1歩後退です。

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