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型にはまることで豊かになる

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よく最近「型にはまるな」「個性を押し出せ」と言われます。
 
 
「テルマエ・ロマエ」という古代ローマの風呂をテーマにしたコミックがついに4月、最終回を迎えました。
当時のローマとしては暫新なアイデアと手法でお風呂を設計していく浴場設計技師のルシウスの仕事に、ただ新しいことを追求するだけではなく、そこに節度とスタイルを重んじる古代ローマ人らしい哲学をみる思いでした。
 
コミック第三巻で、ルシウス技師は、お金持ちのお客さんから、胸の大きなヴィーナス像を配置し、金ぴかで派手な浴場を作ることを命じられます。
ルシウスは、このような下品で恥ずかしいものはギリシャの神々を表現するうえでふさわしくない、と仕事を請けることを躊躇するのですが、日本の金閣寺からアイデアを得て、「黄金であれど神の宿る気配があれば上品な荘厳さが醸される」と考えるのです。
 
表現とは、感情の赴くままにしようと思えば限りなく大風呂敷を広げることもできます。
しかし、スタイルと品格という制限をもったところでの表現は、ある種の難しさを伴います。
 
音楽でも、古典的な表現者である、ベートーヴェンは、当時としては暫新な手法を用いて作曲を行いました。
しかし、どんなに感情が爆発しようとも、頑固でゆるぎないスタイルというものは、絶対に崩していません。
そこが、より感情を前面に押し出した表現に向かおうとしていたロマン派とのはざまに存在してもなお、古典派の代表者である理由の一つです。
 
型というものは、人間の感情を抑制する働きがあります。
 
感情はゆらぎのもの。
そのゆらぎがあればあるほど、感情は表現しやすい。
 
しかし、古典派は、そのゆらぎというものを、型ではめているのです。
 
感情を優先し、やりたい放題なんでもやってよいと、ある一定の決まった型からはずれると、「それはベートーヴェンではない」となります。
もちろん、フルトヴェングラーのような巨匠は、古典を「ロマン派的」な表現を用いて演奏した芸術家ですが、それでも、スタイルギリギリのラインは外れていないところが彼が天才と言われる所以です。
 
型を守ると、人間の感情は冷静さに向かいます。
しかしベートーヴェンは、型を守りながら、豊かな感情をその型の中に込めた。
だから、表現者は、そのはざまで苦しみます。
 
しかし、その型の中での表現こそが、引き締まったギリシャ神話のような世界が構築されるのです。そして、ある種の品格を持ってより豊かな感情が表現されます。
 
私はルシウス技師の仕事と、ベートーヴェンの音楽に、古代ローマから脈々と引き継がれる精神を見る思いがしました。
 
これは、もしかしたら、何気ない普段の仕事にも当てはまることかもしれません。
制約があるからこそ生まれる仕事の品格。
 
そういうものを今一度見直したいと思いました。

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