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ライフワークとしての学びを考えます。

「お金を払っているのになぜもっと良くならないの?もっと教えてくれないの?」は当たり前

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私淑する師匠とのご縁というのは、人生にとって最上級の経験でもあると思います。
 
ただ、どんなに立派な師匠であっても、全ての弟子たちが育つわけではないと感じています。
 
それは、口伝えで伝承する濃密な師弟関係から、講義における教授と受講生の関係に至るまで、私は同じだと考えます。
 
素晴らしい教授、プロフェッショナルというものは、人間力に優れ、何名もの受講生であっても、一人一人に対する対機説法が出来るからです。
 
それでは、成長できる方と、そうでない方。
どこに違いがあるのでしょうか?
 
教える人がプロフェッショナルであればあるほど、教わる立場との間には、たいていは何かの金銭的なものが存在します。
 
しかし、「お金を払っているのになぜもっと私が成長できるように教えてくれない」と考えているうちは、良い成長はありません。
 
そこには金銭的なものを越えたものが存在するからです。
 
それは「志」です。
 
その道を極めようとする人間は、今の自分があるのは、自分を育ててくれた方々のおかげという「感謝の念」を持っているものです。
そうでなくては、道を極めることなどできるはずがありません。
 
それを社会に返していくこと、志のある人たちに返していくこと、「Give back」することが高貴な義務であることを知っています。

もし高額な謝礼金額であっても、それが万が一無料であっても、素晴らしいプロというものは、志があれば、一度伝えると決めたなら同じレベルで教えると私は考えます。
 
そして、そこで生まれる「成長」というものは、志に見合ったものだと思います。
 
師匠の良い面を引き出す、いや「拝み出す」のもこちら次第。だから、成長の現場とは、感謝の念から生まれる志の共同作品。
 
心から自分の成長を願うならば、まず自分の心に志と感謝の念を今一度問うてみる。
師匠との共同作品が作れているかどうか問うてみる。
 
そうすると、自分の場合は、「ついつい師匠に甘えている自分」という姿が浮き彫りになり、そのたびに気を引き締めなおします。
 
成長への答えは自分が出すもの。
すべては自責なのです。

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