からたちの花が咲いたんじゃね? 「からたちの花」は若者言葉らしい
北原白秋の詩に、山田耕筰が歌を作った作品「からたちの花」。
それは、北原白秋が、子供の頃恵まれない時代を過ごし、工場で働いていた頃の情景を描いていると言われています。
休憩時間、工場の裏庭に腰を下ろし、ひっそりと咲いてたからたちの花を見て、自分の人生を映し見たのではないでしょうか。
2012年12月8日、私が代表・指導を務める合唱団「コール・リバティスト」の練習がありました。
この日は、夜の全体稽古に東混(とうこん=東京混声合唱団)の秋島先生にいらしていただきました。
秋島先生は、「からたちの花」における白秋の詩は「~花が咲いたよ」「~とげが痛いよ」「~通る道だよ」「金のたまだよ」など「~だよ」で終わる文章になっているのが興味深いとおっしゃいます。
「~だよ」は大正時代としてみれば、最新の若者言葉だったのだそうです。
先生いわく「~だぜ」と同じではないかとおっしゃいます。
最近だと「~じゃね?」のような感じともいえます。
もし「花が咲いたんじゃね?」「とげが痛いんじゃね?」「通った道っぽくね?」と歌われると、ちょっとむずむずしないまでもありませんが、少し軽い雰囲気の言葉づかいだったと解釈したほうが良いそうです。
だから、白秋の身の上を思って深刻ぶって歌うのではなく、心の内側を吐露しているのだけれど、今で言う「つぶやいている」ようなニュアンスで歌うと良いのではないでしょうか。
そう考えると、どんな昔に作られた作品でも新しいのです。モーツァルトにしても、当時は相当時代の先を行っていて、理解できない人たちがいたほどです。作品というものは常に「新しさ」というものを内包していると思えます。
そして何回歌ったとしても、いつも新しい発見をして、新鮮な気持ちで歌いたいものですね。
コンサートでは、お客さんは、一回しか聞かないわけですし、初めて聞く人もいるわけですからね。
ちなみに「からたちの花」は、東京混声合唱団の入試課題曲になっているそうです。受験者は、自分の得意なアリアなどの作品を歌ったあと、この「からたちの花」を団員さんたちと一緒に歌うそうです。そうすると「適応するかどうか1回で分かります」と秋島先生はおっしゃいます。
ソロ(一人で歌う)のようなテンポのゆれ、ブレスの繊細さ、ダイナミクスの大きさ、まさに息を合わせなければ歌えない作品ですから、合唱で歌えるかどうかを見るには最適な作品かもしれませんね。
チャレンジしたい方はよく練習しておくといいかもしれませんね!?
この日は他に佐藤眞作曲、混声合唱のための組曲「蔵王」より「樹氷林」「おはなし」「早春」、松下耕作曲「三つの詩篇」より「声をかぎりに」を歌いました。