悲しい歌を悲しく歌うと悲しく感じられない
表現とは、実は全てを表現してしまっては伝わりにくいということがあります。
2012年11月3日私が運営・指導を行う合唱団「コール・リバティスト」の練習がありました。
この日は東京混声合唱団のテノール秋島先生にいらしていただきました。
秋島先生は、「悲しい曲を本当に悲しく歌うと、残念なことに悲しく感じられないということがある」とおっしゃいます。
山田耕筰作曲・増田順平編曲の「砂山」は、一見悲しげな歌ですが、歌詞を見るとそれほどの悲劇を描いているわけではありません。
「すずめさようなら、さよならあした、うみよさようなら さよならあした」
というように、物悲しい叙情的な旋律にのって歌う作品です。
だからといって、無表情に歌うわけでも、気楽に歌うわけでもありません。
例えば、下手な役者だと悲しい場面で「悲しいわ~!」と演技してしまう。そうすると見ている人はあまり悲しい気持ちがしないわけです。
悲しいときに悲しい気持ちをちょっとこらえる表現をする、そのさじ加減が上手くいくと見ている人にはものすごく悲しみが深く感じられるのです。
それは「美しく歌うことだ」、と先生はおっしゃいます。
これは大変難しいことですが、ある高みにまで行くにはこのような表現が必要になってくるというわけです。
逆に、楽しい曲を、楽しいことを第一に歌うと、聴いているほうからすると、これもまたあまり楽しい感じがしないということがあります。
「楽しそうに歌っていいわね」で終わってしまう、ということが良くあります。
上手な落語などを見ると、いかにも楽しそうにやってくださっていますが、良く見るとお客が楽しいかどうかを一番に考えていることがよく分かります。楽しいことを言っているのだけれど、全てを表現するわけではない、そのさじ加減です。
それが、表現というもののあり方なのではないかと考えます。
この日は、他に「青蛙」、チルコットの「Irish Blessing」「O Danny Boy」、松下耕作曲の「三つの詩篇」より第二番「声をかぎりに」を練習しました。
練習を重ねて、良い表現ができるようになりたいですね!頑張りましょう!
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