たくましかったカバさんが頼りなく見えたそのとき コンプレックスを解消するための過去との対話
「コンプレックスは早いうちに解消しておいたほうが良い」と言われます。
なぜなら、コンプレックスというのは自分の実力や創造性を奪うからです。
劣等感とは他者との比較。
人間の本質には、他者との比較で幸せを量りたいという本質があるように思えます。
太古の時代。仲間の中でどれだけたくさんの獲物を捕ることができるか、どれだけ闘いが強いかで生き残ってきたというルーツをたどると納得がいきます。
だから、いくらコンプレックスを解消しようと思っても、心の奥底に潜むものを取り去ることは難しいのだと感じています。
他者との比較はキリがありません。
上には上がいて、世界の果てまで行ってもその比較は終わりません。
過度な比較のサイクルにはまるとどうなるか。
例えば、競争に勝つための表現・技術なのか、心の表現のための表現・技術なのか。
または、競争に勝つためのサービスなのか、本当にお客様に対するサービスなのか。
境界線が分からなくなり、本来の目的を見失います。
だから他者との過度な比較は不幸の始まり。
私は自信のない人間です。
どんなにコンプレックスを解消したと思っても、心の奥底に渦巻いているエゴを完全に消し去ることができない。
あの人やこの人はもっと出来ている、お前はなんてダメなんだと、もう一人の自分が責める。
コンプレックスに押しつぶされそうになり、理想や目標を見失いそうになったとき、原点に戻るためにイメージすることがあります。
子供の頃よく遊んだ公園や神社に、大人になってから行ったときのことを思い出すのです。
当時、神社の階段は高くて段差があったので、手をついたりしながらやっと上っていました。しかし実際行ってみると、こんなに小さな階段だったかな、と意外に思いました。そして、神社の境内は広々として一生懸命端から端まで走っていたはずなのに、とても狭く感じます。
公園の砂場が妙に小さく、乗って遊んでいたセメントのカバも頼りなく見えます。
そのとき一瞬にして、過去の自分との対話が始まりました。
思い込みでは、自分より周囲が大きく見えている。
それは、成長する前に見えていた頭の中にあるイメージでしかない。
本当は自分が成長していて、周囲が少しは見渡せるようになっていることに気がついていない。
実際の成長とは、なかなか目に見えないものなのです。
しかし、思っているほど駄目でもない。
成長している。良くなっている。
他人と比較しないほうが幸福。
比較するなら過去の自分。
今の自分にそう言ってあげたいです。
いつか、軽やかにしなやかに、自分のコンプレックスを見つめられるようになりたいと思っています。