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ライフワークとしての学びを考えます。

人生は私の思うがまま、なんて言ってみたいものです 自在な人生を生きる処方箋

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人生は、どんなに努力したとしても思い通りにいかないことがある。
 
例えば、希望通りの仕事に就けなかった。
予期しない大病をしてチャンスを逃してしまった。
両親や兄弟との難しい問題を抱えている。
 
相手があれば、自分の思い通りにいかないことは当たり前と思ってしまいます。そして、選べず逃げられない問題は特に厳しいと感じます。
 
 
以前の演奏会で慣れていないスタッフの方をお願いしたことがあります。何度も念押ししたはずのピアノ椅子が、いざ舞台に出てみたら違う椅子で、しかも逆向きだったことがありました。
 
ピアノは椅子に座るときの高さで、演奏の出来が違います。ピッタリくる高さのときはよく弾けることが多いのです。人は体型によって腕の長さ、足の長さなど違いますので、ピアニストは椅子をあらかじめ自分の高さに調節して演奏しています。だから、椅子の高さがいつもと違うと、手の角度や指のタッチ、腕の飛ばし方など、微妙なところに狂いが出てしまうのです。
 
お客様の前で、高さ調節の硬いハンドルを何度も回しながら、「あれだけ言ったのに」という思いが込み上がってきました。こういう状態のまま弾き始めるとろくなことがありません。感情が波立って演奏し始めてしまい、一応弾けたものの、ただでさえ難しい一曲目が、不本意な結果になってしまったことがあります。
 
修行を積んだ高僧というのは、何かあって心が動揺したとしても、すぐに静かな状態に戻るのだといいます。だから、いくら修行を積んだとしても動揺はする。ただ、元の状態に戻るのが早いのです。
 
不都合なことが起こったとする。怒りが湧き上がったとする。
しかし、それは起こるべくして起こったことであり、必ず意味があると解釈すると心はかなり静まります。
何かが起こったとき、その物事をどうとらえるのか、どう解釈するのかが、その後の結果を大きく分けるのだと思いました。
 
だから、椅子が違っていても、「お前はまだ演奏する心の状態になっていない。そのための時間を与えたのだ」という何かの声だと解釈する。それも「仕方なく」ではなく、無条件に信じる。そこまでの境涯に達したなら道は開けてくるのでしょう。ただし、実際のはそこまで考えるゆとりもなく、小さなことでも思い通りにいかない未熟な自分がいるのが現実です。
 
100人ものオーケストラを自在に操る超一流の指揮者というのは、心の処し方と解釈力が素晴らしいと感じます。
激しく怒っていたと思ったら、次の瞬間には冷静になっている。成長を願い、良い音楽をするため、練習中どんなに楽団員を叱咤していたとしても、終わると機嫌良く声をかけている。ひきずらない。
 
私が知っている指揮者の先生は、楽団がピンチになったとき、「今までの方法でやっていたら音楽は深まらなかった。今は、ジャンプで飛ぶ前に膝を折り姿勢を低くする状態だ。大事な成長のチャンスを与えていただいた。良かった!」とおっしゃったそうです。何年か後、結果は言ったとおりになりました。
 
そういう方は、些細なことでも、人生を左右する重大なことでも、まったく同じ。
それは、修行を積んだ高僧のように、瞬時に物事を解釈し、自分を取り戻しているからなのだと思います。
 
私は今まで「人生は辛く、思い通りにならないものだ」と信じていました。
 
期待していた結果にならない、苦しい状況が続く、しかしその意味を解釈する力をつけるとまさに「人生は自分の思いのままになる」。
今はそのように思えます。

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