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ライフワークとしての学びを考えます。

あなたのような怖い鬼がいてもすごい先輩がいるから頑張れるなんていわれると嬉しいねえ

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企業内で研修の企画を考えている知人と話して印象に残ったことがあります。
 
最近は、先輩や上司の方々が忙しいというのもあり、なかなか後輩や新人さんに仕事の心得などを伝える時間がないのだそうです。
きっと時間だけの問題ではないであろうし、社会的な状況もあると思います。しかし、映画などでよくある「上司が新人をみっちり育て上げる」というようなことは少なくなくなってきていると言っていました。
だからこそ、講師の方をお招きして研修を行うのは意味があるのだとか。
 
もちろん、社外の専門家からハイレベルのものを学ぶことも大変意味のあることだと思いますし、例えば「ヴァイオリンの弾き方」のような技術的なものはプロのほうが上手に教えられます。
しかし、私自身の経験から申し上げると、教えると自分も上達します。
専門家でなくとも、最初はよく分からなくても、拙くとも、一生懸命お伝えしようとしているうちに、自分も成長するのは確かです。これは自信を持って言えます。
 
私は、高校一年のときから近所の子供たちにピアノを教えていました。
最初は、音楽のような抽象的なものをどう教えて良いのかわからずに苦労しましたが、やっているうちに「心におくり届ける」ということが分かるようになってきます。そして、不思議なことに、自分の音楽も成長していたのです。
 
これは、人に伝えようと、言葉にできない感覚的なものを理論づけて言語化したり、実際に自分がやって見せてあげて訓練するうちに、自分の中で音楽の方向性や輪郭がはっきりしてきたと思えます。
音楽といえども、「なんでこう弾くの?」と問われて、ただ「楽しいから」「きれいだから」ではだめで、そこに理論の裏づけが必要であるということに気がついたのです。
 
だから、もし伝えたり教えることのチャンスを逃しているのであれば、とてももったいないことではないかなと思います。
 
私は、合唱団を運営しています。
もちろん合唱団と企業は違うと思いますが、合唱の世界は先輩が経験の浅い人をサポートしていくことは伝統でもあります。これなしには合唱団の成長は語れません。ここが、一人の才能しか必要のないソリストと違うところです。
 
一緒に歌って先輩が次の世代に伝えていく。そこに年齢の上下は関係ありません。だから本当に実力のある人は、自分だけ気持ちよく声を張り上げることはないのです。上手であるのは、ご本人の努力もあるかもしれませんが、始めたばかりの頃、どなたかに助けていただいたおかげなのです。それをまた新しい人に伝えて恩返ししていく。歌い伝えることは、緊張感を持って歌に臨むことになり自分自身の成長にもつながります。
 
隣で上手な方が歌っていれば、「ああ、こうすればいいのね」と体得する。良い物を盗む。いくらプロの指導者がいても彼らは隣人として歌うことはありません。だから先輩は自分の背中を見せるだけで良いのだと思います。私も、どんなにか「良き隣人」に教えていただけたことでしょうか。
伝えられ、伝えることで成長できるチャンスをいただき、全体が良くなっていくのです。
 
指揮者のY先生は「僕はよく『鬼のY』と言われていたけど、”すごい先輩がいるからいくら先生に厳しくされても頑張れる”なんて団員に言われると嬉しいねえ」と、ご自身の合唱団を自慢されていました。
 
何年マンションに住んでいても、隣の人の顔をまだ知らない、というのはよくあることです。
こんなご時勢ですが、合唱団では、団員さんたちが集う一週間に一度の数時間、濃密な社会的活動をされているのではないかという思いがあります。
 
合唱音楽はホールに通り過ぎてゆく風。あるときはさわやかに、あるときは暖かく、あるときは疾風のごとく。
そこには、優しく、時には厳しく、成長を助け合う仲間たちがいます。

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