わたしは仕事を解雇になって良かったと思った
就職や再就職が難しいといわれています。
厳しい社会状況が続いています。
以前、友人が代表の音楽教室にお仕事をいただいたことがあります。
しかし途中で私が腱鞘炎というピアニストによくある怪我をしてしまったのです。
仕事にはほとんど影響ないはずだと思っていたので言わないでいたのですが、あるとき軽い気持ちで怪我しているという話しをしました。
すると、私はすぐに解雇になりました。
「仕事は厳しいの。怪我をしているあなたのことが気になって指示できない。困るので辞めてもらいたい」
心の中では、なぜそれまで良かったのに、今駄目なのか、理由が分からないと思いました。しかし、これではきっと良い仕事はできないだろうと感じ、辞めることにしたのです
怪我ではプロとしての仕事は当然できません。その後、ほとんどの仕事を一切失うことになります。そして治るまで2年半かかりました。
仕事を失うということは、社会的な死を意味するということを、そのとき初めて肌感覚で味わうことができました。
生きるとは何か?
私はなぜ生まれてきたのか?
社会に役立つとは何か?
時間だけはたくさんあり、ゆっくり考えるきっかけをいただきました。
そして後に合唱団のご縁があり、ボイストレーニングや合唱指導も行うようになりました。たくさんの仲間もできました。
もし、解雇されずにそのまま続けていたら、今の自分はないし、素晴らしい皆さんと出会うこともない。
あのときの解雇、しばらくはなかなか腹に落ちないでいたのですが、今はその友人に感謝しています。
そう思うと、解雇は何かの導きで、他にも様々起こったことは意味があり、良きことだったと解釈することができるような気がします。
未熟な自分はまだ解釈力がなく、何か良くないことが起こると、そこに気持ちがとらわれてしまい、物事の意味について考える余裕もないのが現実です。
しかし、何か起こってもそこで正対すれば、いつか分かるときがくるのだと思います。
人を落とさなくてはならないとき。
「辞めていただけますか」「職場を変わっていただけますか」と言う方も相当辛いお立場だと思います。
家庭もある、生活もある。そして夢もある。
この人は基準を満たしていないのだから、数字を出していないのだから、病気なのだから・・・「だから仕方ない」。
そう割り切ってしまえば楽になります。
しかし、そこで揺れる。迷う。苦しむ。最後は最良の選択となるように成長を願う。
そういう方が、最後に見送るときの
「ご活躍を」
と、かける言葉には、力がみちあふれ、命が宿ります。
そこには、割り切って決定した結果表れるものとは違う、大切な何かがあるように感じます。
きっとどこかで花を咲かせてくれるに違いないという思いが、人生を良き方向に導くことがあると私は信じています。