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ライフワークとしての学びを考えます。

人は本心を語らない 実は本心が分からずに話しているということがある

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「私、もうピアノやめたい」
 
子供の頃から一生懸命やっていて、音大を目指そうとしていた人でした。
そう言う人に対して、
「そうですか。それなら辞めるのも良いのではないですか」
とアドバイスさせていただいたことがあります。
 
そのとき、私の中で直観のようなものが働いてそう言ったのですが、次に来たときに「やっぱりやめたくないです」と、以前より熱心になってくれたことがあります。
 
これは、「この人はきっとやめたくない。自分で決断しなければならないと迷っている」と感じたので思い切って言ってみたのです。
こういうときは、直観からくる確信のようなものと、その人を信じて言うようなところがあります。
人によっては、間違った判断をしてしまうと、本当にやめてしまうこともあるからです。
 
また、本当はやりたいことが別にあって、しかし何かの理由でやめられないでいるとき、相手は何かのきっかけをほしがっている場合もあります。
信用できる人の一言で仕事を決めてしまったりする場合もあります。
でもそれは、本当は自分がそうしたかったのを、背中を押していただいたのです。
 
話をよく聞いていると、その方の響きの芯のようなものを感じることがあります。響きの芯とは、音楽の演奏で芯をとらえると力を入れなくとも豊かに響くところです。それは「本人もよく分かっていない本心」といえるかもしれません。その芯をおしてあげると、良い方向に流れ出す。表面的なところはあまり関係なかったりします。
 
特に、何か「変だな」と思ったときは気をつけるようにしています。
 
以前、仕事上の話である方から「単なる雑談だから。グチだから聞き流していい。」と言われていたのですが、後々「なぜすぐにフィードバックしてくれないのか。ちゃんとやってくれているのか」とものすごく怒っていらっしゃったことがあります。本当はもっと重大な違うことで怒っておられたのですが、それはもう全体方針で変更できなかった。ご本人も我慢してくださったのだと思います。しかしそのモヤモヤをどうしようも出来なくて、代わりに「雑談」でそのことを訴えたかったのだと分かりました。そのとき、自分は「何か変だな」と直観が動いていたのですが、安心してそれ以上考えなかったのです。
 
人というのは本心は語らないものだ、そして、実は本心が分からずに話しているということがあるのだ、ということを考えさせられました。
 
だからといって、「本音は違うことを考えているのだろう」と疑ってかかるというわけではありません。
 
疑うということは、相手に対してどこかで心がまっすぐ入っていかなくなるような気がします。こちらの感情や都合などのレンズを通すと「操作してやろう」という気持ちが働き、大事なものが感じられません。だから、信じてまっさらになって聞く。できればお母さんがお子さんの話しを聞くように、お年寄りのお話を聞くようなつもりでやってみると響きの芯が感じやすくなるように思えます。
 
芯を感じ、上手く押してあげるということができると、物事はきれいに流れるのだなということが少しずつ分かるようになってきました。
 
判断は間違っていなくとも、行き過ぎてしまったり、言葉を吟味できていなかったりすると、かえって「パンドラの箱」を開けてしまうという苦い経験もしたことがあります。自分の未熟さを感じてしまうときです。
 
そして、もっと難しいことがあります。
それは自分の心です。
「こんな仕事辞めてしまいたい」そう言って、人に「それなら辞めてみる手もあるよ」と言われ「ハッ」となり、黙々と続けているという自分がいる。やはり自分というのは難しいものだと再認識しています。

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