汲み取り式トイレから入れ歯を拾う 「ここまでやるか」
「ここまでやるか」
その道を極めた人というのは、私たちが想像する以上の、普通なら躊躇してしまうような領域まで平気で踏み込む。
思わず、「ここまでやるか」と言わしめる。
ホンダの創業者、本田宗一郎さんが、まだ町工場の時代。輸出のことでアメリカ人を招いたときのことです。
盛大におもてなしをし、酔っ払ってしまったアメリカ人の方が、トイレで入れ歯を落としてしまいます。
当時は水洗トイレなどありません。本田さんは「それなら」と、なんの躊躇もなくパンツ一丁になり、汲み取り式トイレの中に入って、入れ歯を探し出しました。
クレゾールで消毒し、お湯で洗い、臭いがないか確かめて、自分の口にくわえ、裸で踊りながら現れました。
自分の口にくわえたのは「大丈夫だ」ということを示したのでしょうし、しかもおどけて踊りながら現れたので、その場の雰囲気は明るく盛り上がったのです。
頼まれもしないのに、自らが率先して喜んで人の嫌がるようなことをやる。
計算づくで行動しない、なんという無条件のギブ。
本田さんは下積み時代に、人の嫌がる辛い仕事を押し付けられた経験があり、そういうことを人にはさせまい、と心に誓っていたようなところがあったそうです。
最近、知人からこの話しを聞いて初めて知ったのですが、まさに「ここまでやるか」と思わされました。
指揮者の岩城宏之さんが、伝説の巨匠、ピアニストのスビャトスラフ・リヒテルと共演したときのことを、エッセイ「棒振りのカフェテラス」に書いておられます。通常、プロのピアニストはオーケストラと3~4時間の練習で本番で十分なのですが、リヒテルは、まず指揮者との打ち合わせ10時間、1回3時間のオーケストラとの練習を9回行うことを要求したそうです。
猛暑のパリで、打ち合わせと指定されて行った先では、リヒテルと、そしてオーケストラの代わりをするピアニストとの練習が10時間も続きます。全力とあまりの暑さに岩城さんはパンツ一丁になり、”アンサンブルを重んじる”リヒテルもパンツ一丁になる。リヒテルは、岩城さんにも「今日一日であなたの指揮に慣れたいから本当のオーケストラを前にして振るようにやってください」と言います。
そこでは音楽的な注文はなく、岩城さんが全力で振る棒にあわせて、巨匠リヒテルが本番さながらに全力で繰り返すのみ。
岩城さんは、『パンツ一枚で十時間近くも汗みどろになって両方の音楽を確認し合ったようにやるのが、本当のコンチェルト(ピアノとオーケストラが一緒に演奏する)なんだということを思い知ったのだった』と書いています。
リヒテルは、演奏会が納得いないと、お客さんが帰ったあとも朝までホールで弾き続けることもあったといいます。
まったく計算のない100パーセントの全力。
コンディションの調整や報酬も関係なく気のすむまで追求する姿勢。
またしても「ここまでやるか」。
その道を極めた方々、究極のプロフェッショナルに共通するものとは何か、と深く考えさせられます。
果たして、自分の「ここまでやるか」はあるのだろうか。
いつも「もうここまではできない」というところでやめている自分に気がつきます。
神レベルともいえる「ここまでやるか」を知り、まだまだ足元にも立っていない。
いつか自分の「ここまでやるか」という領域に行ってみたい。そう思いました。