なぜ報酬をいただくのか タダより怖いものはない
私は無料で仕事をお受けすることはほとんどありません。
もちろん特別な場合もありますが、基本的に報酬をいただくことにしています。
無料の仕事は「質が落ちる」とよく言われます。
しかし私の場合、仕事は「スイッチを入れるタイプ」で、いったん仕事に入るといつも無我夢中状態。報酬をいただいてもいただかなくても、終わってみれば同じような結果になっています。
だから、ボランティアで指導者をしている方々の質が良くないとは言いません。むしろ志を持った素晴らしい行いをしていらっしゃると私は思っています。
それではなぜ無料にしないのか。
それは受け手の気持ちが違ってしまうからです。
とくに大人の場合、そこに「経費が発生している」という意識があるのとないのとでは場の空気感の違いが顕著です。
例えば、学生さんのような団体に「お金がないんです。でもぜひやりたいんです。お願いします。」と言われ、情熱が感じられる場合でも、すぐに「はい、やりましょう」とは言いません。
今なくても後でなんとかならないか相談します。
その場で経費が発生しているということを、少しでも自覚していただくためです。
自分が学生時代は、親に出資してもらってレッスンを受けたり、学校に行かせてもらっていました。しかし、社会人になってから、自分で働いたお金で勉強をして分かったことがあったのです。
吸収率が高いのです。
そして、自分のお金を使うからには、投資先を真剣に探します。選びます。
人のお金だと思うと、どうしても無意識にどこかがゆるんでしまうのです。
時間は買うことはできませんが、自分のお金で勉強すると人生の時間の密度が濃いと感じます。今、もし親が援助してやろうと言ってくれても、断ると思います。
あえてお金の重みを背負う、ということです。
また、人にお仕事をお願いする立場の場合。
出来る限り正規の料金でお願いするようにしています。
ある団体にピアニストで呼ばれて行っていたときのことです。
そこは立ち上げたばかりで人も資金もなく、無理を言って知り合いの指揮者に考えられないほどの低料金でお願いしていました。
その方はそれで生活しているプロでした。明らかに指導レベルが落ちてしまったのです。そうすると団体の実力もなかなか上がりません。目標を見失った集団がどこへ行くか。最終的には、音楽をする状態にならず、崩れるように堕ちていくのを見たことがあります。
お安く交渉できて「ああ儲かった。」と思うのは私は怖いと感じます。
だから、先生が「今日は(謝礼は)いらないわよ」と、もしおっしゃったとしても、お願いしてでもお支払いさせていただきます。
私は、仕事の場とは、もう二度と戻ってこない人生の時間で、お互いが素晴らしいものを作り上げ、共に成長する場でありたいと願っています。だから本質は、最大の報酬とは、自らの成長なのだといえます。
逆説的ですが、それはお金には代えられない尊い時間なのだと思うのです。