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プライドと思いやりのラプソディ 同窓会で名刺交換しない人々

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大学の同窓会に行ってきた知人が「名刺交換はしなかった」と言っていました。
 
卒業して何年か経過すれば、起業して社会的に成功している人もいる。企業で役職についている人もいる。
 
そして、現在においては、そうでない人もいる。
 
「数年前の会で名刺交換をしたとき、あいつの寂しそうな顔が忘れられないんだ」
 
一般に「社会的に成功している」と言われる方々は、きっとどこかで早い時期に、必ず辛い思いをしながら成長なさっているのだと私は思います。
だから違いは自然なこと。
しかし、そうでない方に気を遣う。
 
なぜか。
 
上も下もなく冗談を言いあっていた、あの良き時代に戻って心から語り合いたいという思いがあるからなのでしょう。
 
そして、その方もそうでない時代があったはず。
「社会的な成功」という肩書きを持つ仲間から恐縮しつつ満更でもない様子で差し出される名刺。
そういう名刺を持っていなかった時代の屈辱や痛みを知っているから。
 
だから、「成功の名刺」を持っていないがために、名刺を出したくないがために、同窓会に出席しない人もいる、と言います。
 
私は、手の腱鞘炎で自分の道が閉ざされたと感じた数年間、友人からデビューリサイタルの案内があると落ち込んでいました。本当は、お祝いにかけつけてあげなくてはいけないのに行くことができない。
そんな自分にどう処して良いのかわからずにいました。
獰猛なエゴが野放しの状態で暴れているのを、ただ呆然と見ていることしかできませんでした。
 
ちょうどその時期、違う方から「手を怪我しているのだから、お誘いしてはかわいそうでは?」という声を聞いたとき、気を遣ってくださっているにも関わらず、辛くなってしまう自分がいたことも確かです。
 
もし自分もそういう思いで人に接していたとしたら、それはやはり、「思いやり」という衣をまとっているエゴではないかと感じました。
 
しかし、それも全て自分の解釈。
エゴはなくすことはできない。ガラスの靴を履くことはできない。今の未熟な自分が辛いと感じることが、その痛みが、自分の成長につながるのだと信じたい。
 
人間に上も下もない。
本当の人間力とは、その方にお会いしただけで伝わるものだと考えます。
見れば「この人は大丈夫だ」と感じられるものなのだと思います。
そうは言っても、ビジネスの世界では、名刺というブランドで開かれる道もあります。
しかし、相手に人間力があれば、本来は名刺交換の必要もない。
 
人間力を見せかけることはできません。
自信のあるフリはできません。
虚勢はすぐに見抜かれます。伝わります。
人間力とは、まず等身大の自分を認め、人生の経験を重ね、初めて力に満ちて表れてくるものだと思います。
 
名刺や肩書きの必要ない世界に入っていける日はいつ訪れるのか。
月日を重ね、心から軽やかで、しなやかな、柔らかい。いつかそんな世界に入っていけたら、そんな同窓会ができたら、と願っています。

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