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ライフワークとしての学びを考えます。

私のことばはなぜ人の心に届かないの?

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あなたはだれ?
何を考えているの?
どうしてそんなに苦しんでいるの?
あなたは一体どこに行こうとしているの?
 
音楽は、演奏は、楽譜という記号と向き合い、問いから始まる旅だと思います。
 
チェスで、コンピューターが人と対戦し勝ってしまったりする時代です。
例えば、現代の科学の力を使えば、どんな難しい曲でもコンピューターで楽譜を解析し、再現することなどいとも簡単に成し得ることができるでしょう。
しかし、そう演奏された音楽は、決して人の心に届くような音楽にはならないと私は思います。
 
楽譜は単なる記号であり、いかに細やかな指示が書き込まれていようと、演奏者がそこから意味をくみとり、解釈し、自分のことばとして咀嚼し命をこめていく作業があって、初めて人の心に届くような音楽になるのだと信じています。
 
「言葉」もそうだと思います。
 
シェイクスピアの同じ役を演じていても、俳優によってこんなにも違うのかと思わされることがよくあります。
 
なぜなのか?
 
同じ両親から生まれた兄弟が、顔も性格も全く違う。
ほんのちょっとした「ゆらぎ」が生み出す生命誕生の奇跡だといわれています。
 
音楽や言葉にも、そして絵でも、その人の人生から醸し出される情感、息遣い、香りのようなもの、色彩のタッチ、そして、同じ空間を共有する観客側との、ほんのちょっとしたゆらぎが、美の瞬間を創造し、毎回新たな発見を見ることができるのだと思います。
 
これは科学では永遠に解析できない謎だと感じています。
 
昨日も、ある企業のセミナーで、プレゼンとスピーチの講師を務めてきました。
そこでは、一人一人が自らの言葉で人生の一場面を語っていただく場を設けたのですが、短いシンプルな言葉においてさえも、ちょっとした「間」の取り方一つで、お互いに誘発され、未来を変えてしまうような場となる可能性を秘めていると感じました。
 
私は、これを、以前は「気分」だと思っていました。
 
もちろん、解析したり、冷静に言葉を選ぶ知恵や発声トレーニングも必要です。しかし、人の心に訴える創造的な瞬間とは、何か数字では計り知れない、ほとんど偶然ともいえるような、「ゆらぎ」としかいいようのないものから生まれるものだということを実感として思います。
 
創造の瞬間とは、表現者と聴衆とその「場」と。そのすべてが整ったときに生まれるもの。今は、一回でも多く人生の素晴らしいその瞬間に立ち会いたいと願っています。

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