内容が凡庸でも素晴らしいスピーチになるその理由
「スピーチやプレゼンは内容ですよ。だからトレーニングなんて関係ない」
とおっしゃる方がいます。
聴きに来ているお客さんは素晴らしい話しの内容を知りたくて来ているのだから、話しの中身さえよければそれでよい。
それも一理あります。
以前、ノーベル賞を受賞した学者さんのスピーチを聞いたことがある、という方の話しをうかがったことがあります。
「とても素晴らしいことをお話しなさっているのだと思うのですが、言葉がはっきりしなかったり、お話しの順序も支離滅裂で、何をおっしゃっているのかよく分からなくて最後まで理解できなかったんですよ。」
ノーベル賞をとられるくらいですから、英語でも日本語でも、世界の舞台でお話しする経験は豊富だと思うのですが、ノーベル賞をとる能力と、スピーチの能力はどうも別のようです。
しかし、せっかく内容が素晴らしくても、伝わらないのではもったいと思いました。
それでは、スピーチが上手ければ、内容がそれほど素晴らしくなくても、いわゆる凡庸であっても大丈夫なのでしょうか。
私は、それでも、スピーチが上手ければ良いものになると思います。
弁士で漫談家の徳川夢声さんは、レストランのメニューを読み上げただけで、聞いている人が感動して泣いてしまうほどだったという伝説をうかがったことがあります。
メニューのようなものでさえ、言葉の力によって、人の心をつかみ、人の心を変えていくことができるということなのです。
私は、スピーチには音楽と共通するものを感じています。
名演奏家は、どんなにつまらない作品でも、人を感動させることができる。
これは、まぎれもない真実です。
そのコツとは何か。
一つあげるとすれば、それは「間」です。
素晴らしいスピーチは「間合い」がよい。
例えば、サプライズを紹介する直前の間。一番大事なことを言う前の間。
それこそ命をかける間でもあります。
しかし、緊張している舞台で「間をとろう。ああ、間をとらなくては」と思ってとった「間」は、思ったほどとれていません。
それはなぜか。心臓の鼓動が早く、呼吸が浅くなっているので、いつもと同じように感じていたのでは、たいてい早く短くなってしまうのです。
音楽を演奏するときでも、緊張が高ければ高いほど間合いは短くなっています。後で聴いてみてこんなはずではなかったのに、と思うことがあります。
音がなくなると怖いかもしれません。しかし、内容が変化する場面や、大事なことを言う前に、「おへその下に力を入れて」1.2.3と数えて黙ってみる。
最初のうちはそのぐらいしてみてちょうどよいのです。
もちろん内容がよければ文句はありませんが、やはり人前で話しをする心得があるのとないのとでは大きな違いがあると思っています。
一度思い切って間をとると、だんだん良い間合いとテンポができてきます。