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ライフワークとしての学びを考えます。

なぜ私がこの人に言われなくてはならないの?

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自分が出来ていると思っていても、方向性が間違っている場合があります。
思いが強いときほど、周りが見えなくなっていることもあります。

実際、自分を客観的にみて自省するというのは、大変難しいことではないでしょうか。
 
そういうときに、率直におっしゃっていただける方というのは、私にとってはとても大切な方。
 
他には、指揮者と楽団員や師匠と弟子の関係、上司、お稽古ごと、メンター等の場合もありますが、その方に師事したりお仕えすることを覚悟し、納得してお願いするわけだから、おっしゃっていただいたことは聞く。そのとき、もし納得がいかない場合でもまずは受け入れる姿勢を心に持つことが大事だと思っています。
 
時間がたってみると、「おっしゃっていただいたことはやはり正しかった」と感謝することも多い。
 
しかし、そういう関係が確立していない、横のつながり。
例えば、仲間同士や同僚のような関係において、組織の中でのアドバイスのやりとりや、意志決定は特に難しいと感じます。
 
自由に意見を言い合うことができる場の空気があることは素晴らしいと思いますし、切磋琢磨すればお互い成長することができる。
だから、同じ立場でのやり取りには反対ではなく、推奨したいくらいです。
 
しかし、実際はそうでないことも多いのです。

全体を良くしようと思ったり、その方のために良かれと思って言ったであろうことでも、相手が「覚悟ができていない状態」では、いかに技術的に力のある人からの助言であっても、素直に受け取れない場合がありますし、お互い傷つけあってしまうこともあります。
 
もちろん、言い方のバランスのとり方や、テクニックなどもあると思います。
しかし、そういうことは結局、相手には見透かされてしまいます。
 
やはりそういうときに、人間への信頼、というものが必要になると私は思っています。
 
「この人が言うのだから」
 
という人間そのものへの信頼感です。
 
それは、その方がこれまでの実績から積み上げてきたもの。
 
そして「人間力」。
 
それは、今までの実績だけではなく、初対面でも「この人は大丈夫だ」と思える方がいます。
 
人間力とは、実績やプロフィールを聞かなくとも、ほんの少しの会話でも、人に感じさせるものです。
 
言っていることの内容を問うのではなく、人間の信頼を得ることが、最も大事なことであり、難しいことだと思っています。
 
私は、自分が組織の一員であったら、よほど理由がないかぎり人に対して多くは語らない立場をとることが多い。あまりにまだ道の途中だからです。
 
人間学、さらに学んでいきたいと思っています。

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