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ライフワークとしての音楽を考えていきます

私はなぜ飲み会に行かないか

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ある先生は「私は、講義や講演の後の飲み会には行きません」とおっしゃいます。
 
その方は私の大変尊敬する方なのですが、「一期一会の仕事の場で全ては語られている」からだそうです。
 
また、日本経済新聞の「私の履歴書」でつい最近まで連載されていた、演出家の蜷川幸雄さんは、
 
「稽古の後に役者と毎回飲みに行く演出家もいるけれど、自分は公演が全て終わったあとの打ち上げくらいにしか行かない。」
 
というようなことを書かれていました。
 
サッカー日本代表元監督の岡田武史さんも「情が厚いので、情が移ると的確な判断が出来なくなる、だから選手とは行かない」と言っています。
 
上記様々な理由があると思いますが、私は、リーダーやその求心的な立場である講師、指導者は、組織のメンバー全てに対して平等でなくてはならないと考えています。
 
私も、組織の仕事関係では、あまり積極的に飲み会は行かない方です。
しかし、打ち上げは特別だと思っています。
それは組織の公式の企画であり、ほぼ全員が出席するという前提で行われるからです。
ただし、演奏会の打ち上げでご招待を受けても、大抵は会費を払わせてもらうか、それが難しければ「お祝い」を差し上げるようにしています。
 
例えば、普段の稽古の後にいつも飲みに行くと言っても、たいていはある特定のメンバーグループとなってしまいます。飲んで盛りあがり本音で語りあうことは大事なことですが、そうするとやはり、指導者と特定グループの結束だけが高まってしまう現状を多く見てきました。
指導者には情が移りやすい方もいて、指導中にそのメンバーだけに特別な話し方をしたりする場合もあります。
 
遠方からわざわざ来る方や、家庭を持っておられる方は、飲み会に行きたくても行けない人もいます。そういう立場の方々も、同じように音楽に対して一生懸命練習しているのに、何か不平等な気持ちになってしまう。
 
そして、そういう方々こそ、リーダーの行動を何もおっしゃらずにじっと見つめておられることを私は知っています。
 
特に、音楽は儲かるものではありません。
献身の一言なのです。
身を捧げてやっていくことが虚しくなってしまうことすらあります。
 
その不平等感こそ、組織が崩れていくきっかけではないかと思っています。
 
坂本さん大里さん がおっしゃっておられるように、人は「不幸には強いが不平等には弱い」のですね。
 
リーダーは、時間をとって全員一人一人と向き合って話す時間をとるべきだと思っています。しかし、もしそれが難しいのであれば、可能な限り平等を心がけること。
 
私は、自分が集団音楽の組織を作ったらば皆に対して平等でありたい、という強い願いを持っていました。もちろん飲み会に行かないことだけが平等になるとい言っているわけではありません。しかし不平等の芽は摘んでいくことです。同じような想いで自分の背中を見ている方々がいることをいつも心にとめておきたいと思っています。

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