オルタナティブ・ブログ > 大人の成長研究所 >

ライフワークとしての学びを考えます。

「I am FURUCHIN」の精神で魂をさらけだす

»

映画「うた魂♪」(うたたま)を観ました。
 
主人公である、北海道の進学校・七浜高校女子合唱部のかすみは、歌っている自分が大好きで、浜辺で一人歌いながら自己陶酔しているような人。地元テレビ局の取材でも一人目立とうとしているのはかすみなのです。
 
かすみは、合唱でいう一番上の旋律を受け持つ「ソプラノ」。
一般的にソプラノは、高い声を出すことの難しさやメロディを歌う責任感の方にエネルギーを使ってしまい、他のパートに比べて人の声とアンサンブルすることに意識が薄い傾向があることは確かだと思います。
それが行き過ぎると、かすみのような人が出てしまうのは仕方のないことかもしれません。
 
自己陶酔するソプラノを描くあたり、映画監督の田中誠さんは合唱を本当によく分かっていらっしゃると感心いたしました。
 
先日、奇しくも合唱の稽古にて、東混の秋島先生をお招きしてご指導いただいたのですが、
「ソプラノはいつもメロディを担当しているけれども、たまにはそうではないところもありますからね。今、下々の者(笑)が歌っているから汲み取ってあげてくださいね。このくらい申し上げれば大丈夫でしょう。」(全員大爆笑)
と、おっしゃっておられたのを思い出しました。
 
歌や合唱だけでなく、他の楽器においても、「自分って素敵でしょう?」「ホラ、私って上手でしょう?」という声が演奏から聴こえてくることがあります。
ソロの演奏家というのは孤独の極致におかれ、強烈なエゴというのは必要不可欠な要素ではあります。
が、しかし、自分に陶酔してしまったり、自信過剰になってしまうあまり、客観的に見られなくなるのは音楽において陥りやすいワナであると考えています。
 
映画の中で、かすみは、合唱部学内披露演奏のときに撮影された自分の写真を見て、歌っている顔がこんな顔だったのかとショックを受け、好きな合唱をやめようとまで思ってしまうのです。
 
初めて自分を客観視できたのでしょう。
 
かすみのやる気のない態度を見ていた、ガレッジセールのゴリさん演じる、湯の川学院高校ヤンキー合唱部の番長・権藤洋に、合唱をなめるなと激しく指摘されます。
 
そして、音楽は「I am FURUCHIN」の精神であると。
 
ゴリさんはこれを「メタファーだ」と言っていましたが、それは「自分の魂をさらけだせ。」という意味ではないでしょうか。

かすみが「I am FURUCHIN!」と海に向かって叫ぶシーンが印象的でした。
 
格好つけずに、素直に自分をさらけだす。真剣に没頭する。
私は、自己陶酔と没頭は違うと思っています。
だからこそ、合唱は魂の声がぶつかり合う究極のアンサンブルなんだ、というメッセージを受け取りました。

それにしても、自分もソプラノなので気をつけなくてはと自省しています。
 
他に、高校合唱部の練習や、地方の合唱祭の様子などのシーンも興味深く、また東京都合唱祭の常連団が何気なく出演していたりと、合唱をする者にとっては大変面白い映画だと思いました。
 
良い映画を有り難うございました。

Comment(0)