どうしたら素晴らしい仕事ができるのか どうしたら素晴らしい人生を生きられるのか
あのショパンの美しい音楽。陶酔させ、ときには生きる喜びを与えてくれる。しかしその奥から聴こえてくるのは死の響き。
ショパンは当時死の病でもあった結核でした。
生涯つきまとう死の影。いつ死ぬかもしれない。いや、明日死ぬかもしれない。そんな叫びが音楽から聴こえてくる。死とみつめあう中で書かれた音楽は、晩年になればなるほど恐ろしいほどにその深みを増していき、魂をゆさぶる。
人は必ず死ぬ。
そんな当たり前なことは分かっているけれども、忘れていたい。楽しく生きたいから。
だって、常に自分が死ぬことなんて考えていたら憂鬱になってしまう。
そう思っていました。
「すべての人々は、自分以外の人間は、みな死ぬものだと思っている」
と、エドワード・ヤングも言っているように、死ほどどんな人にも確実に訪れるものはないのに、自分にだけは関係ないもののように生きています。
しかし、2011年3月11日。
私の住んでいる地域は、地震の後すべての電気、水道が止まり、そして携帯の電波さえも途切れて約半日間陸の孤島となったのです。しばらくの間、家族との連絡が途切れました。そのとき、ふと頭をよぎったのは生きているのだろうか?ということです。
同じ時間、東北では津波によりたくさんの方々が一瞬にして尊い生命を奪われていた。自分は痛くも痒くもないその瞬間に、大事な人がこの世からいなくなってしまうことがある。
これは自分の姿だったのかもしれない。自分の家族の姿だったのかもしれない。
私は生きている。幸運にも生かされている。何と有り難い。
しかし、普段から死というものを見つめることはありません。死が怖いのではない。無意識の中にあるエゴの猛烈な抵抗。エゴは自分が無に帰ることを恐れます。
だから生きていれば、エゴが邪魔をして死を意識しようとすることは難しいのです。
そのエゴを克服しようとしたのが紀野一義さんの修行です。
紀野さんは日々、「明日、死ぬ」と思い定め、その日一日を生き切る修行をされ、その後、戦争中の台湾で不発弾の処理のため信管を抜くという仕事をしました。失敗すれば命はありません。そのとき座禅を組んで無心になるのです。ぎりぎりの生と死を分ける瞬間から目をそらすことなく、今ここで自分の人生が終わるとしたらという、極限の状態を感得された。このような経験を経て仏典がよくわかるようになり、人々に仏教や人生論を説く仕事をされるようになったのです。
死刑囚は金曜日の夜寝られると言います。
執行は前日に言い渡されるので、それまでの一日一日を大事に生きるからです。
私たちは死刑囚ではない。しかし罪は犯していないが、人生の死刑囚なのではないか?
若いからと言ってあと何十年も生きられるという保障がどこにあるのだろうか。
それは病であるかもしれない、震災であるかもしれない、事故であるかもしれない。
終わりは、ある日突然に訪れる。
自分は、後何十年も生きられるような生き方をしていないか?
意識せずただ漫然と仕事をしていないか?
必ず死ぬ。だから、生かされ、今生きていることが有り難い。
この命与えられているならば、それには深い意味があるのだと思います。
自分がなぜこの世に生まれたのか。様々な方とのご縁、そして、なぜ音楽をやってきたのか。それらはすべて意味がある。与えられた命を使って一隅を照らすような仕事をしたい。慈しむように一日一日を感謝の気持ちで生きていきたい。
そして永遠の静寂が訪れるその日。その瞬間。
「素晴らしい人生だった」と思えるような人生を歩んでみたい。