カラヤンの芸術家としての魂は死んでいたのか
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)が亡くなったとき、ある評論家はこのように評しました。
「これは帝王の死ではない。セールスマンの死である。芸術家としてのカラヤンの魂はとっくに死んでいた」
カラヤンという指揮者は、超名門オーケストラ、ベルリン・フィルを率い、一つのブランドを築き上げたのだと私は思っています。
そのブランドイメージを確立するためのカラヤンの手腕は見事でした。
演奏会には、ベンツのリムジンで乗りつけ、演奏後はスマートに颯爽と引き上げる。常に自信満々の態度と、強気の契約。そして、自分のイメージどおりの音楽をするためには手段を選びませんでした。
そして、当時としては録音にも大変積極的でした。ソニーの大賀典雄さんとも交流が深く、多くの映像や録音を世に出しています。
その録音も、カラヤンの美意識が浸透した、ある意味完璧なものばかりです。
前任者である指揮者のフルトヴェングラーの時代からいる古い楽団員は、そんなカラヤンをよく思わない人たちもいたようです。
ベルリン・フィルのティンパニー奏者、テーリヒェンなどは、著書「フルトヴェングラーかカラヤンか」において、強烈にカラヤンを批判しています。
ベルリン・フィルの内情に詳しい指揮者の朝比奈隆さんはこのように言っています。
「(カラヤンに対して)『なんだあの野郎』という(笑)、男の焼き餅みたいなものも、あったのかな。女性のお客さんはキャーキャー言いますしね。ちょうど下町の玉三郎みたいな声が上がるんですからね。ウィーンやなんかでも。」(「朝比奈隆 交響楽の世界」)
有名になればなるほど、人気が出ればでるほど、「アンチ」は出てくる。
光が当たれば当たるほど、その影は濃い。
「アンチ」その人の人気のほどをあらわすバロメーターであり、勲章でもあると感じています。
しかし、ベルリン・フィルの新しい楽団員は、カラヤンのことを悪く言う人はあまりいないというのが面白いところです。
実際、カラヤンは若手に対する面倒見もよく、才能のある演奏家を多く育てています。
今や世界的に活躍しているオーギュスタン・デュメイや、アンネ・ゾフィー・ムターは、カラヤンが見いだした音楽家ですし、小澤征爾さんもカラヤンに育てられています。
指揮者としても素晴らしく、オーケストラからカラヤン・サウンドとも言われる華やかな音色を引き出し、それまでのしかめつらしいクラシックのイメージを一新しました。
そして、クラシックを知らない、あまり興味のない人でも、「カラヤン」「ベルリン・フィル」と言えば、今は誰でも知っているほどに有名です。
クラシック音楽を一般の人たちにまで広めた。これがまさに、カラヤンの偉大な功績なのではないかと私は思っています。
名演奏も数多く残しており、プッチーニの「蝶々夫人」はこれ以上のものはないと思わせる人類の至宝のような録音だし、ブラームスの交響曲1番の重量感あふれる演奏なども何度聴いても興奮してしまいます。
カラヤンは、芸術とビジネスを両立してしまったある種の天才だと私は思っています。