嫌いな人は人生の宿題 嫌いな人がいたとき行う3つのこと
人を嫌いになってしまうと、その人のことを考えたくもない、その人の言っていることがすべて悪いことに思えてしまう、口もききたくない。一緒に仕事なんてとても無理。
また、こちらがそれほどでもないのに、いつの間にか知らないうちに、相手がこちらを嫌っているということもあります。これもはっきりした理由が分からないだけに辛いものです。
このように、一度「嫌いスイッチ」が入ってしまうと、その方に対して思考が停止してしまうということがあります。私はそうでした。
そして、こちらが嫌いだと大抵相手もこちらを嫌っていることが多いように思えます。
「気にしないようにしよう。」
「透明人間にしてしまおう。」
などと考えるのですが、やはりどうしても気になり、考えれば考えるほどさらに嫌いになってしまう。同業者で職場が一緒の場合は特に辛いですね。
もしどうしようもなければ、究極の選択として、自分がその場を去るという方法も考えられます。
しかし、不思議なことなのですが、変わった場所でも同じような人がまた現れる。なぜか似たようなタイプで、同じような苦しみが訪れる。
私は、これは「人生の宿題」なのではないかと思っています。
宿題をすませない限り、また同じような宿題がやってくる。
それではどのようにして宿題を解決したらよいのか。
まず、どうして嫌いになったのか?嫌われたのか?を考えてみなくてはなりません。
ベートーヴェンは、交響曲第3番「英雄」を作曲したときに、「ナポレオンに捧げる」とスコアの最初に書き記しました。しかし、市民の味方だと思っていたナポレオンが即位したと知ったベートーヴェンは激怒し、「ナポレオンに捧げる」の文字を消してしまいます。その跡は今でも見ることができるのですが、あまりに激しく消したため、楽譜の表面が荒々しく削られ破れているほど。大好きだったナポレオンが、その瞬間大嫌いになってしまったのです。
そう、相手に対しての期待値が裏切られたときに、人は嫌いになってしまうものなのですね。
「愛憎」という言葉がありますが、まさに、愛と憎しみは紙一重。
期待していて、好きであればあるほど、嫌いになったときの憎しみも深いのです。
そして、人間関係で本当に辛いのは「無関心」です。嫌いだということは、その人に関心があるということ。
実は、「嫌い」ということは、その方と今まで以上に上手くいくチャンスなのです。
その考えをふまえて、私は人との関係が上手く行かなくなったときに、3つの考えをして対処してきました。
その方法を用いることで、今はそういう方とも良好に仕事をしています。
1、自己嫌悪
冷静に相手を見て考えてみると、嫌いな方は自分と似たところがあるものです。その方に自分が普段我慢して抑えている悪い面が見えてしまったりする。嫌いなのは、自己嫌悪なのです。「これは自分のエゴが鏡に写っているんだ」と考えます。
2、目を合わせて言葉をかける
人は「目線で殺す」ことができます。
なぜか嫌いだとその人と目線を合わせたくないという気持ちが働きます。それでは、ますます関係は悪化してしまう。最初は形だけでも、まずは挨拶することから始める。たとえば「元気ですか」と短く声をかける。無視されるかもしれませんが、それでも続けていくと、自分の心の中の硬いものが少し溶けていくように感じます。
3、感謝する
嫌いな人に感謝する。本気でそう思ってなくてもいい。とにかく感謝してみる。直接言うのが辛ければ、その方のいないところでもいい。「00さん、有り難うございます」と口に出して言ってみる。
嫌いなのは自己嫌悪。その方は、自分の足りない面を教えてくださっているのです。最初は「有り難うございます」と言うだけで気分が悪くなりへたり込んでいましたが、何回か言っているうちに、これもまたモヤモヤした心が少し晴れてくるような気がしてくるのです。
そしてなぜか、その後その方とお会いしたときに、険悪にならないのです。これは不思議な事実です。
「有り難う」という感謝の気持ちを持つことで、もしかしたら自分自身が癒されて、その方にお会いしたときに、言葉では伝わらないような何か違った空気になっていたのかもしれません。
感謝はすべてを癒すのだと思います。
結局は、自分がどう感じるか。自分次第ということなのでしょう。
すぐに結果がでるわけでもありませんし、簡単なことではありません。しかし以前よりさらに良い関係が築けるチャンスであることは間違いないと信じています。